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最高裁判所第三小法廷 平成6年(オ)1119号 判決 1997年8月29日

上告人

家永三郎

右訴訟代理人弁護士

森川金寿 尾山宏 新井章 今永博彬 四位直毅

榎本信行 福田拓 荒井誠一郎 小林正彦 大川隆司

大森典子 田原俊雄 高野範城 門井節夫 江森民夫

金井清吉 荒井良一 渡邊春己 吉田武男 立石則文

加藤文也 藤田康幸 斉藤豊 栄枝明典 山崎泉

井澤光朗 村山裕 彦坂敏尚 大野裕 菅沼友子

森川文人 金澄道子 内藤功 本永寛昭 永吉盛元

金城睦 伊志嶺善三 池宮城紀夫 島袋勝也 照屋寛徳

高橋清一 吉川基道 前川雄司 竹内浩史 瀧康暢 加納力

被上告人

右代表者法務大臣

松浦功

右指定代理人

細川清

外九名

主文

一  原判決主文第一項を次のとおり変更する。

第一審判決主文第一、二項を次のとおり変更する。

1  被上告人は、上告人に対し、四〇万円及びこれに対する昭和五九年二月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  上告人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟の総費用は、これを四分し、その三を上告人の負担とし、その余を被上告人の負担とする。

理由

一  本件は、上告人執筆に係る高等学校用日本史教科用図書「新日本史」(以下(本件教科書」という。)について、文部大臣が、昭和五五年度に申請された新規検定の際に右教科書の原稿本の記述(以下「原稿記述」という。)に対して修正意見及び改善意見を付したこと、昭和五八年度に申請された改訂検定の際に右教科書の改訂のための原稿記述に修正意見を付したこと並びに昭和五七年にされた正誤訂正申請を受理しなかったことが違憲、違法であるとして、文部大臣の右各行為によって精神的苦痛を被ったとする上告人が被上告人(国)に対し、国家賠償法一条に基づいて損害賠償を求めている事件である。

二  上告代理人森川金寿、同尾山宏、同今永博彬、同四位直毅、同榎本信行、同福田拓、同荒井誠一郎、同小林正彦、同大川隆司、同大森典子、同田原俊雄、同高野範城、同門井節夫、同江森民夫、同金井清吉、同上野賢太郎、同荒井良一、同渡邊春己、同吉田武男、同立石則文、同加藤文也、同藤田康幸、同斉藤豊、同栄枝明典、同前田留里、同山崎泉、同井澤光朗、同村山裕、同葛西清重、同彦坂敏尚、同大野裕、同菅沼友子、同森川文人、同金澄道子、同内藤功、同本永寛昭、同永吉盛元、同金城睦、同伊志嶺善三、同池宮城紀夫、同島袋勝也、同照屋寛徳、同高橋清一、同吉川基道、同前川雄司、同竹内浩史、同瀧康暢の上告理由第一章第三節(憲法二六条等の違反)について

所論は、要するに、学校教育法二一条一項、五一条、旧教科用図書検定規則(昭和五二年文部省令第三二号、以下「旧検定規則」という。)、旧高等学校教科用図書検定基準(昭和五四年文部省告示第一三四号、以下「旧検定基準」という。)に基づく高等学校用の教科用図書の検定(以下「本件検定」という。)は、教育の自由を侵害するものとして、憲法二六条のほか憲法一三条、二三条、教育基本法一〇条に違反するというにある。

学校教育法二一条一項は、小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書(以下「教科書」という。)等を使用しなければならない旨を規定し、同法四〇条が中学校に、同法五一条が高等学校にこれを準用している。これを受けて、旧検定規則は、文部大臣が行う教科書の検定手続等を規定しているが、教科書の検定の基準は、右規則三条により文部大臣が定めた旧検定基準によることとされている。そして、右旧検定基準によれば、高等学校用日本史の教科書についての審査は、教育基本法に定める教育の目的及び方針並びに学校教育法に定める高等学校の目的及び教育の目標に一致していること、学習指導要領に示すその教科の目標に一致していること、政治や宗教についてその取扱い方が公正であることの「基本条件」三項目を満たしているかどうか、教科書において取り扱う範囲が学習指導要領に示す目標及び学習指導要領に示す内容によっていること、程度が生徒の心身の発達段階に適応していること、選択及び扱いが学習指導を進める上に適切であること、組織、配列及び分量が学習指導を有効に進める上からみて適切に考慮されていること、誤りや不正確なところがないこと、一面的な見解だけを十分な配慮なく取り上げているところがないことなどの「必要条件」八項目(四一細項目)に照らして適切であるかどうかを審査するものとされている。したがって、本件検定による審査は、単なる誤記、誤植等の形式的なものにとどまらず、記述の実質的な内容、すなわち教育内容に及ぶものである。

そこで、右のような本件検定の憲法適合性についてみるに、憲法中教育そのものについて直接の定めをしている規定は憲法二六条であるが、同条は、子供の教育が、専ら子供の利益のために、教育を与える者の責務として行われるべきものであることを明らかにしているものの、教育の内容及び方法を誰がいかにして決定するかについては直接規定していない。

しかし、憲法上、親は、子供に対する自然的関係により家庭教育等において子女に対する教育の自由を有し、教師は、高等学校以下の普通教育の場においても、授業等の具体的内容及び方法においてある程度の裁量が認められるという意味において、一定の範囲における教授の自由が認められ、私学教育の自由も限られた範囲において認められるが、それ以外の領域においては、一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、し得る者として、あるいは子供自身の利益の擁護のため、あるいは子供の成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するというべきである。もとより、国政上の意思決定は、様々な政治的要因によって左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があり、それゆえ、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子供が自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子供に植え付けるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許されないが、これらのことは、子供の教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由とはならない。教育基本法一〇条は、教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきことをいうものであるが、これは教育行政が許容される目的のために必要かつ合理的と認められる規制を施すことを禁止する趣旨ではないと解すべきものである。以上は、当裁判所の判例(最高裁昭和四三年(あ)第一六一四号同五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号六一五頁)の示すところである。

ところで、普通教育の場においては、児童、生徒の側にはいまだ授業の内容を批判する十分な能力は備わっていないこと、学校、教師を選択する余地も乏しく教育の機会均等を図る必要があることなどから、教育内容が正確かつ中立・公正で、地域、学校のいかんにかかわらず全国的に一定の水準であることが要請されるのであって、このことは、もとより程度の差はあるが、基本的には高等学校の場合においても小学校、中学校の場合と異ならない。このような児童、生徒に対する教育の内容が、その心身の発達段階に応じたものでなければならないことも明らかである。そして、前記のような旧検定基準に基づいて行われる本件検定の審査が、右の各要請を実現するために行われるものであることは、その内容から明らかであり、その基準も、右目的のため必要かつ合理的な範囲を超えているものということはいえず、子供が自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような内容を含むものではない。また、右のような検定を経た教科書を使用することが、教師の授業等における前記のような裁量を奪うものでもない。

なお、所論は、教科書執筆の自由をいうが、憲法二六条がこれを規定する趣旨でないことは前記のとおりであり、憲法二三条との関係については、後記四において判断するとおりである。

したがって、前記法令に基づいて行われる本件検定は、憲法二六条、一三条、教育基本法一〇条の規定に違反するものではなく、このことは、前記大法廷判決の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭和六一年(オ)第一四二八号平成五年三月一六日第三小法廷判決・民集四七巻五号三四八三頁参照)。

三  同第一章第四節(憲法二一条違反)について

前記のように、小学校、中学校、高等学校においては、検定を経た教科書を使用しなければならないこととされているため(学校教育法二一条一項、四〇条、五一条)、検定を経ない、あるいは検定において不合格となった図書は、教科書としての発行の道が閉ざされることになる。しかし、右制約は、普通教育の場において使用義務が課せられている教科書という特殊な形態に限定されるのであって、不合格となった図書をそのまま一般図書として発行し、教師、児童、生徒を含む国民一般にこれを発表すること、すなわち思想の自由市場に登場させることは、何ら妨げられるものではない。

ところで、憲法二一条二項にいう検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきところ(最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日大法廷判決・民集三八巻一二号一三〇八頁)、本件検定は、前記のとおり、一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲には当たらず、憲法二一条二項前段の規定に違反するものではない。このことは、右大法廷判決の趣旨に徴して明らかである(前掲平成五年三月一六日第三小法廷判決参照)。

また、憲法二一条一項にいう表現の自由といえども無制限に保障されるものではなく、公共の福祉による合理的で必要やむを得ない限度の制限を受けることがあり、その制限が右のような限度のものとして容認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきところ、普通教育の場においては、教育の中立・公正、一定水準の確保等の要請があり、これを実現するためには、これらの観点に照らして不適切と認められる図書の教科書としての発行、使用等を禁止する必要があること、その制限も、右の観点からして不適切と認められる内容を含む図書についてのみ、教科書という特殊な形態において発行することを禁ずるものにすぎないことなどを考慮すると、教科書の検定による表現の自由の制限は、合理的で必要やむを得ない限度のものというべきである。したがって、本件検定は、憲法二一条一項の規定に違反するものではなく、このことは、当裁判所の判例(最高裁昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決・刑集二八巻九号三九三頁、最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁、最高裁昭和六一年(行ツ)第一一号平成四年七月一日大法廷判決・民集四六巻五号四三七頁)の趣旨に徴して明らかである(前掲平成五年三月一六日第三小法廷判決参照)。

また、所論は、本件検定は、審査の基準が不明確であるから憲法二一条一項の規定に違反するとも主張するところ、旧検定基準の一部には、包括的で、具体的記述がこれに該当するか否か必ずしも一義的に明確であるといい難いものもあるが、右旧検定基準及びその内容として取り込まれている高等学校学習指導要領(昭和五三年文部省告示第一六三号)の教科の目標並びに科目の目標及び内容の各規定は、学術的、教育的な観点から系統的に作成されているものであるから、当該教科、科目の専門知識を有する教科書執筆者がこれらを全体として理解すれば、具体的記述への当てはめができないほどに不明確であるとはいえない。所論違憲の主張は、前提を欠き、失当である(前掲平成五年三月一六日第三小法廷判決参照)。

以上と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法はない。

四  同第一章第五節(憲法二三条違反)について

教科書は、教科課程の構成に応じて組織、配列された教科の主たる教材として、普通教育の場において使用される児童、生徒用の図書であって、学術研究の結果の発表を目的とするものではなく、本件検定は、申請図書に記述された研究結果が、たとい執筆者が正当と信ずるものであったとしても、いまだ学界において支持を得ていないとき、あるいは当該教科課程で取り上げるにふさわしい内容と認められないときなど旧検定基準の各条件に違反する場合に、教科書の形態における研究結果の発表を制限するにすぎない。このような本件検定が学問の自由を保障した憲法二三条の規定に違反しないことは、当裁判所の判例(最高裁昭和三一年(あ)第二九七三号同三八年五月二二日大法廷判決・刑集一七巻四号三七〇頁、最高裁昭和三九年(あ)第三〇五号同四四年一〇月一五日大法廷判決・刑集二三巻一〇号一二三九頁)の趣旨に徴して明らかである(前掲平成五年三月一六日第三小法廷判決参照)。これと同旨の原審の判断は正当であり、論旨は採用することができない。

五  同第一章第六節第一(憲法一三条、四一条、七三条六号違反)について

学校教育法五一条によって高等学校に準用される同法二一条一項は、文部大臣が検定権限を有すること、学校においては検定を経た教科書を使用する義務があることを定めたものであり、検定の主体、効果を規定したものとして、本件検定の根拠規定とみることができる。また、本件検定の審査の内容及び基準並びに検定の手続は、文部省令、文部省告示である旧検定規則、旧検定基準に規定されているが、教科書は、小学校、中学校、高等学校及びこれらに準ずる学校において、教科課程の構成に応じて組織、配列された教科の主たる教材として、教授の用に供される児童又は生徒用図書であり、これらの学校における教育が正確かつ中立・公正でなければならず、心身の発達段階に応じて定められた当該学校の目的、教育の目標、教科の内容等に沿って行われるべきことは、教育基本法、学校教育法の関係条文から明らかであり、これらによれば、教科書は、内容が正確かつ中立・公正であり、当該学校の目的、教育の目標、教科の内容に適合し、内容の程度が児童、生徒の心身の発達段階に応じたもので、児童、生徒の使用の便宜にかなうものでなければならないことはおのずから明らかである。そして、旧検定規則、旧検定基準は、右の関係法律から明らかな教科書の要件を審査の内容及び基準として具体化したものにすぎず、文部大臣が、学校教育法八八条の規定に基づいて、右審査の内容及び基準並びに検定の施行細則である検定の手続を定めたことが、法律の委任を欠くとまではいえない。したがって、本件検定が憲法一三条、四一条、七三条六号の規定に違反するとの論旨は、その前提を欠き、失当である(前掲平成五年三月一六日第三小法廷判決参照)。

六  同第一章第六節第二(憲法三一条違反)について

所論は、行政手続にも憲法三一条が適用されるところ、(一) 検定のすべての段階、過程において告知、聴聞、弁明の機会が与えられていないこと、(二) 処分理由が文書で明確に示されていないこと、(三) 教科用図書検定調査審議会(以下「検定審議会」という。)の委員や教科書調査官等の選任が公正ではないこと、(四) 検定の審議手続が公開されていないこと、(五) 本件検定の審査基準が不明確であることなどから、本件検定は適正手続に違反するというのである。

しかし、右(三)の検定審議会の委員や教科書調査官の選任が公正でないとの点は原審の認定に沿わない事実に基づくものであり、右(五)の検定の審査基準が不明確といえないことも前記のとおりであるから、右(三)、(五)についての所論違憲の主張は、その前提を欠く。

また、行政処分について、憲法三一条による法定手続の保障が及ぶと解すべき場合があるにしても、行政手続は、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではない。本件検定による制約は、思想の自由市場への登場という表現の自由の本質的部分に及ぶものではなく、教育の中立・公正、一定水準の確保等の高度の公益目的のために行われるものである。これらに加え、検定の公正を保つために、文部大臣の諮問機関として、教育的、学術的な専門家である教育職員、学識経験者等を委員とする検定審議会が設置され、文部大臣の合否の決定は同審議会の答申に基づいて行われるのであり(旧検定規則九条)、文部大臣が合格の条件として修正意見を付した場合には、それに対する意見申立ての制度があり(同規則一〇条)、不合格の決定を行う場合には、不合格理由は事前に申請者に通知すべきものとされ、それに対する反論聴取の制度もあり(同規則一一条)、検定意見の告知は、文部大臣の補助機関である教科書調査官が申請者側に口頭で申請原稿の具体的な欠陥個所等を例示的に摘示しながら補足説明を加え、申請者側の質問に答える運用がされ、その際には、速記、録音機等の使用も許されていて、申請者は右の説明応答を考慮した上で、不合格図書を同一年度ないし翌年度に再申請することが可能であることなど原審の確定した事実関係を総合勘案すると、前記(一)、(二)、(四)の事情があったとしても、そのことのゆえをもって直ちに、本件検定が憲法三一条の法意に反するということはできない。以上は、当裁判所の判例(最高裁昭和六一年(行ツ)第一一号平成四年七月一日大法廷判決・民集四六巻五号四三七頁)の趣旨に徴して明らかである(前掲平成五年三月一六日第三小法廷判決参照)。

したがって、所論の点に関する原審の判断は正当であり、論旨は採用することができない。

七  同第一章第七節(国際人権規約違反)について

所論は、要するに、本件検定は、意見及び表現の自由を保障した「市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第七号)」一九条の規定に違反するというにある。しかしながら、右規約一九条三項には、表現の自由についての権利の行使は、他の者の権利又は信用の尊重、国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護を目的とした法律による制限に服すべきことが明記されている。そして、憲法二一条の表現の自由といえども、公共の福祉による合理的でやむを得ない限度の制限を受けることは前記三のとおりであり、表現の自由を保障した前記規約一九条の規定も、公共の福祉による合理的でやむを得ない限度の制限を否定する趣旨ではないことは、同条の文言から明らかである。本件検定が表現の自由を保障した憲法二一条の規定に違反するものでないことは前記のとおりであるから、本件検定が前記規約一九条の規定に違反するとの論旨は採用することができない。

八  同第二章(本件検定の適用違憲)について

本件検定が憲法の諸規定に違反しないことは既述のとおりであり、本件検定が、制度の目的及び趣旨に従って行われる限り、それによって教科書の執筆等に一定の制約が生じるとしても、適用上違憲になるということはない。教科書の検定が、教育に対する不当な介入を意図する目的の下に、検定制度の目的、趣旨を逸脱して行われるようなことがあれば、適用上の違憲の問題も生じ得るが、原審の認定によれば、本件検定処分等を通じてそのような運用がされたとは認められないというのであるから、所論違憲の主張は、前提を欠く。論旨は採用することができない。なお、本件検定の個々の処分について、文部大臣に国家賠償法上の違法があれば、違憲を論じるまでもなく国に賠償責任が認められることはいうまでもない。

九  同第三章(裁量権濫用の判断基準の誤り)について

文部大臣が検定審議会の答申に基づいて行う合否の判定、合格の判定に付する条件の有無及び内容等の審査、判断は、申請図書について、内容が学問的に正確であるか、中立・公正であるか、教科の目標等を達成する上で適切であるか、児童、生徒の心身の発達段階に適応しているか、などの様々な観点から多角的に行われるもので、学術的、教育的な専門技術的判断であるから、事柄の性質上、文部大臣の合理的な裁量にゆだねられるものであるが、合否の判定、合格の判定に付する条件の有無及び内容等についての検定審議会の判断の過程に、原稿の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識や、旧検定基準に違反するとの評価等に看過し難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合には、右判断は、裁量権の範囲を逸脱したものとして、国家賠償法上違法となると解するのが相当である。そして、検定意見は、原稿の個々の記述に対して旧検定基準の各必要条件ごとに具体的理由を付して欠陥を指摘するものであるから、各検定意見ごとに、その根拠となるべき学説状況や教育状況等も異なるものである。例えば、正確性に関する検定意見は、申請図書の記述の学問的な正確性を問題にするものであって、検定当時の学界における客観的な学説状況を根拠とすべきものであるが、検定意見には、その実質において、(一) 原稿記述が誤りであるとして他説による記述を求めるものや、(二) 原稿記述が一面的、断定的であるとして両説併記等を求めるものなどがある。そして、検定意見に看過し難い過誤があるか否かについては、右(一)の場合は、検定意見の根拠となる学説が通説、定説として学界に広く受け入れられており、原稿記述が誤りと評価し得るかなどの観点から、右(二)の場合は、学界においていまだ定説とされる学説がなく、原稿記述が一面的であると評価し得るかなどの観点から判断すべきである。また、内容の選択や内容の程度等に関する検定意見は、原稿記述の学問的な正確性ではなく、教育的な相当性を問題とするものであって、取り上げた内容が学習指導要領に規定する教科の目標等や児童、生徒の心身の発達段階等に照らして不適切であると評価し得るかなどの観点から判断すべきものである(前掲平成五年三月一六日第三小法廷判決参照)。

ところで、原審の確定したところによると、本件検定当時の「教科用図書検定審査内規(昭和五三年六月一五日教科用図書検定調査審議会決定)」は、検定審議会は原稿本を合格と判定した場合、これに訂正、削除又は追加などの措置をしなければ教科書として不適切であると認められるときは、これを修正意見として指摘し、必要な修正を加えることを合格の条件とすること、修正意見として指摘するには至らないが、訂正、削除又は追加などの措置をした方が教科書としてより良くなると認められるときは、これを改善意見として指摘することを定めており、これに従った運用がされていたことが認められる。そうすると、修正意見を付することは、申請者がこれに応じて訂正、削除又は追加などの措置をしなければ教科書として不合格となるというものであるから、合格に条件を付するものであり、これが国家賠償法上違法となるかどうかについては前記のような判断を要する。これに対して、改善意見は、検定の合否に直接の影響を及ぼすものではなく、文部大臣の助言、指導の性質を有するものと考えられるから、教科書の執筆者又は出版社がその意に反してこれに服さざるを得なくなるなどの特段の事情がない限り、その意見の当不当にかかわらず、原則として、違法の問題が生ずることはないというべきである。

以上と同旨の原審の判断は正当であり、原判決に所論の違法はない。

一〇  同第四章第一節第一、第二(昭和五五年度検定の各改善意見)について

所論は、昭和五五年度にされた本件教科書の新規検定の際に、文部大臣が、「親鸞」及び「日本の侵略」に関する各原稿記述に対して改善意見を付したことは違憲、違法であるというものであるが、所論の点に関する原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足り、右認定に係る事実関係、とりわけ、上告人は、各改善意見に反論して従わず、原稿本の記述がそのまま最終記述となって合格処分を受け、検定側において特に改善意見を直接的にも間接的にも強制したようなことはなかったなどの事情の下では、改善意見を付した文部大臣の行為に違法はないとした原審の判断は、正当として是認することができる。

論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、原審の認定しない事実に基づいて原判決の不当をいうか、又は原判決の結論に影響のない説示部分を論難するものであって、採用することができない。

一一  同第四章第一節第三(昭和五五年度検定の「南京大虐殺」に関する修正意見)について

1  原審の確定した事実関係は、次のとおりである。

(一)  昭和五五年度の新規検定申請において、本件教科書の「中国との全面戦争」の原稿記述の脚注の「南京占領直後、日本軍は多数中国軍民を殺害した。南京大虐殺(アトロシテイー)とよばれる。」との記述に対して、文部大臣は、このままでは、占領直後に、軍が組織的に虐殺したというように読み取れるとの理由で、このように解釈されないように表現を改める必要がある旨の修正意見を付した。

(二)  時野谷滋教科書調査官は、理由告知において、南京事件についての研究の現状からみて、原稿記述は、「南京占領直後」という発生時期の点、「軍の命令により日本軍が組織的に行った」という殺害行為の態様の点及び「多数」という数の点において、いずれもこのように断定することができないので、記述を修正すべきであると右修正意見の理由を説明した上、右理由告知の過程において「軍が組織的に行った」と読み取られることを避けるため、「多数の中国軍民が混乱に巻き込まれて殺害された」あるいは「混乱の中で日本軍によって多数の中国軍民が殺害されたといわれる」というように書き改めるよう示唆し、申請者側がこれに応じなかったところ、内閲調整の段階で「混乱の中で」を書き加えるように求めた。

(三)  そのため、上告人は、修正意見に従い、「日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京を占領し、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺(アトロシテイー)とよばれる。」と記述を改めた。

2  所論は、「南京占領直後」という発生時期の点について修正意見を付したことは違法だというものであるが、なるほど、時野谷調査官の理由告知では、三点に分けて説明されているものの、最終記述及びそれに至る経緯に照らせば、修正意見の趣旨は、多数の中国軍民の殺害は、軍の命令によって組織的に行われたと読み取られることを避けるべきであるということにあったことは明らかであり、原審は、「激昂裏に」を付け加えさせる結果となった修正意見をもって違法であると判断しているのである。

3  そうすると、時野谷調査官の理由告知の際の発言中に発生時期の点に関するものがあったとしても、これをもって原審が違法と判断した修正意見とは別の修正意見が付されたということはできないのであり、発生時期の点については違法ではないとした原審の判断は、結論において是認することができるものである。論旨は、原判決の結論に影響しない説示部分をとらえて原判決を論難するものであって、採用することができない。

一二  同第四章第二節(昭和五八年度の改訂検定)について

1  改訂検定の経緯

原審が確定したところによると、上告人は、昭和五八年九月、発行者たる株式会社三省堂を通じて、文部大臣に対して、昭和五五年度に検定済みとなった本件教科書の記述中八四箇所に改訂を加える改訂検定の申請をしたところ、同年一二月、文部大臣は、検定審議会の答申に基づいて、うち六〇箇所について合格とし、他の二四箇所については修正意見を付して条件付合格としたが(改善意見を含めると約七〇項目について検定意見が付された。)、本件で問題となっている後述の「朝鮮人民の反日抵抗」、「日本軍の残虐行為」、「七三一部隊」及び「沖縄戦」の四箇所の記述に対する修正意見は、いずれも右条件付合格に係るものであり、旧検定基準第三章第二節第一3の(1)、(2)の「選択・扱いの上での不適切」若しくは同第一3の(4)の「特定事項の強調」に当たるとして付されたものである。

2  「朝鮮人民の反日抵抗」の記述に対する修正意見について

(一)  所論は、本件教科書二三〇頁本文の「一八九四(明治二七)年、朝鮮に東学党の乱がおこると両国は出兵したが、乱鎮定後の内政をめぐって両国の関係はさらに悪化し、同年八月ついに日清戦争がはじまった。その翌年にわたる戦いで、日本軍の勝利がつづいた。」との記述を「一八九四(明治二七)年、ついに日清戦争がはじまった。その翌年にわたる戦いで、日本軍の勝利がつづいたが、戦場となった朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこっている。」と書き換えようとする改訂検定の申請に対し、文部大臣が、反日抵抗とは何を指すのか分からない、たとい特殊な研究に発表されていても啓蒙書によって十分に普及している事柄以外は取り上げるべきではないとの理由で、「戦場となった」以下の原稿記述を削除する必要がある旨の修正意見を付したのは、違憲、違法であるというものである。

(二)  原審が確定した事実関係は、次のとおりである。

(1) 時野谷調査官は、修正意見の理由告知において、原稿記述の反日抵抗がいわゆる東学党の乱の再挙を述べたものでないとするならば、原稿記述が高度な学術的研究の成果に基づくものであるとしても、まだ学界に紹介されていない一説といわざるを得ないので高校教師にとって理解が困難であるし、東学党の乱の再挙について述べたものであるとするならば、東学党の乱の初発を記述しないで再挙のみを記述するのは生徒に混乱を与える結果となるので、選択・扱いの上で不適切であるから記述を修正すべきであると説明した。

(2) 奈良女子大学教授中塚明が、その著「日清戦争の研究」(昭和四三年)によって、清国と戦うために朝鮮に進出した日本軍に対して朝鮮人民が武器を取って積極的に反抗し、一八九四年の秋には甲午農民戦争の秋の蜂起と呼ばれる公然たる武装闘争が各地に起こったが、これは従来の農民蜂起とは異なり、明らかに日本軍の軍事的侵略に反対することが主な動機となっていたとする見解を発表して以来、右見解は複数の研究者から高い評価を受けるとともに、右著者は、中村道雄外編「世界史のための文献案内」(昭和五七年)などで日清戦争に関する基本的文献の一つとして掲げられ、上智大学教授藤村道生著「日清戦争」(昭和四八年)及び花園大学教授姜在彦著「甲午農民戦争」(岩波講座「世界歴史22」所収。昭和四四年)も中塚教授と同様の見解を明らかにし、更に、都留文科大学講師(現熊本商科大学教授)朴宗根著の「日清戦争と朝鮮」(昭和五七年)は、従来甲午農民戦争の秋の蜂起と呼ばれていたもの以外にも多様な朝鮮人民の反日抵抗があったことを明らかにし、これらの反日抵抗を見直す必要があるとの指摘をした。

他方、昭和五八年当時、一八九四(明治二七)年の秋に朝鮮で生じた民衆蜂起は、一般に、同年の春に起こった東学党の乱の再挙又は甲午農民戦争の秋の蜂起と呼ばれており、朴宗根の前記著作も、東学党の乱の指導者であった全琫準を指導者とする甲午農民戦争の秋の蜂起が反日抵抗の中心であり、それ以外の反日抵抗については昭和五七年ころの学界においても研究が十分でなかったと指摘し、一般的な歴史書の多くは、東学党の乱と甲午農民戦争を必ずしも明確に区別せずに初発と再挙を記載し、秋の再挙のみを記載している歴史書はなく、また、昭和五七年度及び昭和五八年度の検定で合格した高校日本史教科書一五冊のうち初発に触れずに再挙のみについて記述する教科書はなく、初発と再挙を記述した一冊を除くその余の教科書はいずれも初発のみを記述していた。

(三)  そこで検討するに、中塚教授らの見解や朴教授の見解に照らせば、前記の「戦場となった朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこっている。」との原稿記述が東学党の乱の再挙を含む甲午農民戦争の秋の蜂起のみならず、その前後に起きた組織的・散発的なあらゆる形態での朝鮮人民による反日抵抗を指すものと理解できないではなく、また、東学党の乱の初発を記述しないで日清戦争開始後に起こった朝鮮人民の反日抵抗を記述することについては、右反日抵抗が宗教戦争ないしは純然たる内政問題の一環であるとの誤解を避け、日清戦争の歴史的位置付けを正しく理解させようとする教育的配慮があるという上告人の主張も相当の理由があるといえないではない。

しかしながら、前記認定事実によれば、昭和五八年当時、一般的な歴史書は、東学党の乱と甲午農民戦争とを明確に区別しておらず、一八九四年の秋に朝鮮で起こった事象を東学党の乱の再挙又は甲午農民戦争の秋の蜂起と呼んでおり、当時の学界でも右の名称で呼ばれる以外の反日抵抗についての研究は十分ではなかったというのであり、他の高校の教科書もすべて東学党の乱又は甲午農民戦争の初発を記述し、秋に起こった事象のみを取り上げたものはなかったというのである。右のような当時の学界の状況等を前提にすると、「朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこっている。」と記載しただけでは、たびたび起こったとされる事象が何を指すのかについて分明ではなく、教師及び生徒にとって理解が困難であり、また、従来一般に東学党の乱又は甲午農民戦争と呼ばれていた事象の理解との間に混乱を生じさせるおそれもあるというべきである。

そして、前示の事実によれば、本件修正意見は、前記の原稿記述は教師、生徒にとって理解が困難なものであり、学習指導を進める上に支障があるとするものであり、教育の専門技術的立場から原稿記述の内容を明確にして歴史的事象を正しく理解させ得るものに修正させようとする趣旨のものであったといえるから、文部大臣の裁量権の範囲に属するものというべきであり、本件修正意見を付したことに裁量権の範囲を逸脱した違法があるとはいえないというべきである。

右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難し、原審の認定しない事実に基づき原判決を論難するか、又は独自の見解に立って原判決の法令違背をいうものであって、採用することができない。

3  「日本軍の残虐行為」の記述に対する修正意見について

(一)  所論は、本件教科書二七七頁の脚注の「とくに第八路軍は華北などに広大な解放地区をつくりだし、住民の支持をえて、点と線とをたもっているにひとしい日本軍にくりかえし攻撃を加え、ゲリラ戦の経験のない日本軍をなやませた。」との従来の記述に続いて「このために、日本軍はいたるところで住民を殺害したり、村落を焼きはらったり、婦人をはずかしめるものなど、中国人の生命・貞操・財産などにはかりしれないほど多大の損害をあたえた。」と付け加えるための改訂検定の申請に対して、文部大臣が、軍隊において士卒が婦女を暴行する現象が生ずるのは世界共通のことであるから日本軍についてのみそのことに言及するのは、選択・扱い上不適切であり、また特定の事項の強調に当たるとの理由で、原稿記述中「婦人をはずかしめるものなど」及び「貞操」の各部分を削除する必要がある旨の修正意見を付したのは、違憲、違法であるというものである。

(二)  原審の確定した事実関係は、次のとおりである。

(1) 時野谷調査官は、理由告知において、「婦人をはずかしめる」といった記述については、このような事実があったことは認められるけれども、このような出来事は人類の歴史上、どの時代どの戦場にも起こったことであるから、特に日本軍の場合だけこれを取り上げるのは選択・扱いの上で問題であると修正意見の理由を説明した。

(2) 昭和五八年当時、一五年戦争期とりわけ南京事件を含む日中戦争期の日本軍は、日清・日露戦争期の日本軍と比較しても、また、当時の他国の軍隊と比較しても、強姦の常態化という点で、きわだった特徴を有していたとする藤原彰一橋大学教授の見解やこれと同旨の江口圭一愛知大学教授などの見解がある一方、これに対して日中戦争における強姦が特に多かったと断定的に論ずることに消極的な見解もあったが、華北などの戦場における日本軍の貞操侵害行為についてはこれを具体的に記述した資料はなく、華北の戦場において中国における他の戦場の場合と比べて、特に取り上げて記述すべきほど特徴的に貞操侵害行為が頻発しあるいは残虐であったとする有力な学説はなかった。

(三)  歴史上の事柄を教科書に記述する場合に、それを構成する個々の事象のうちどれをどのように記述するかは、その個々の事象が特徴的であってその事柄の全体像を正しく理解する上で有益かつ必要か否かによって判断すべきものであるから、ある戦争において兵士の女性に対する貞操侵害行為が他の戦争と比較して特徴的といえるほどに頻発したとか、残虐であったとかいえる場合には、これを教科書に記述することは、それが当該教科書を用いる児童、生徒の心身の発達段階等に照らして適切であるかどうかの判断をひとまず措けば、戦争における兵士の女性に対する貞操侵害行為が古今東西共通の現象であるという理由のみで直ちに選択・扱いの上で不適切であり、特定の事項を強調しすぎるということはできないというべきである。

しかしながら、本件原稿記述が「とくに第八路軍は華北などに広大な解放地区をつくりだし、住民の支持をえて、点と線とをたもっているにひとしい日本軍にくりかえし攻撃を加え、ゲリラ戦の経験のない日本軍をなやませた。」との記述に続くものであり、その冒頭が「このために」で始まっていることに照らせば、本件原稿記述は、第八路軍が解放地区を作り出した華北などの戦場における日本軍の行動を記述したものであるといわざるを得ないところ、前記の事実によれば、華北などの戦場における貞操侵害行為については特に取り上げて記述すべきほど特徴的に頻発しあるいは残虐であったとする学説、資料は存在しなかったというのであるから、華北などにおける戦場の記述の中で貞操侵害行為を取り上げて記述することは適切ではないというべきであり、文部大臣が、選択・扱いの上で適切ではなく、特定事項の強調に当たるとして修正意見を付したことに裁量権の範囲を逸脱した違法があるとはいえないというべきである。

右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、原審の認定しない事実を交え、独自の見解に立って原判決の法令違背をいうものであって、採用することができない。

4  「七三一部隊」の記述に対する修正意見について

(一)  原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

(1) 本件教科書二七七頁の脚注に「またハルビン郊外に七三一部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたってつづけた。」と書き加えようとする改訂検定の申請に対して、文部大臣は、七三一部隊のことは現時点ではまだ信用に堪え得る学問的研究、論文ないし著書が発表されていないので、これを教科書に取り上げることは時期尚早であり、選択・扱いの上で不適切であるとの理由により、右原稿記述を全部削除する必要がある旨の修正意見を付した。

(2) そのため、上告人は、右原稿記述を全部削除した。

(3) 本件検定当時までに公刊されていた七三一部隊に関する文献、資料は、従前公刊されたものの復刻版二点及び改訂版を含め三六点に及んでおり、新聞、テレビ等でも数多く報道されていたが、中でも昭和五六年から昭和五八年にかけて作家森村誠一が発表した「悪魔の飽食」全三巻は、① 旧七三一部隊員の供述、② 旧七三一部隊幹部に対する尋問調書を含むアメリカ軍の資料、③ ハバロフスク軍軍裁判記録、④ 旧七三一部隊幹部による医学学術論文、⑤ 中国における取材などにより、七三一部隊の実態を詳細に描いたもので、大きな反響を呼び、世人の注目を集めた。また、七三一部隊の存在について、本件検定当時発表されていた学術書としては、上告人著「太平洋戦争」(昭和四三年)、長崎大学助教授常石敬一著「消えた細菌戦部隊―関東軍七三一部隊―」(昭和五六年)、右常石敬一、ジャーナリスト朝野富三共著「細菌戦部隊と自決した二人の医学者」(昭和五七年)があり、外国の文献としては、ジョン・パウエルの「歴史の隠された一章」があった。

(二)  原審は、右事実関係の下において、本件検定当時においては、七三一部隊に関する研究は、いまだ資料が発掘、収集され、事実関係が次第に解明されつつある段階にあって、発表された事実関係も十分な検証がされていたとはいえず、教科書に記載するには信頼するに足りる資料が不十分であったといわざるを得ないから、文部大臣が時期尚早であるとして修正意見を付した過程に看過し難い過誤があるとはいえない、と判断した。

(三)  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

原審認定の前記事実によると、七三一部隊に関しては、本件検定当時既に多数の文献、資料が公刊され、中には昭和四三年に刊行された上告人の著作もあり、必ずしもすべてが本件検定の直前に公刊されたわけではないことが明らかである。そして、原審が、本件検定当時、七三一部隊の存在等を否定する見解があったことを認定していないことに照らせば、本件検定当時、これを否定する学説は存在しなかったか、少なくとも一般には知られていなかったものとみられる。そうすると、本件検定当時において、七三一部隊の実態を明らかにした公刊物の中には、作家やジャーナリストといった専門の歴史研究家以外のものが多く含まれており、また、七三一部隊の全容が必ずしも解明されていたとはいえない面があるにしても、関東軍の中に細菌戦を行うことを目的とした「七三一部隊」と称する軍隊が存在し、生体実験をして多数の中国人等を殺害したとの大筋は、既に本件検定当時の学界において否定するものはないほどに定説化していたものというべきであり、これに本件検定時までには終戦から既に三八年も経過していることをも併せ考えれば、文部大臣が、七三一部隊に関する事柄を教科書に記述することは時期尚早として、原稿記述を全部削除する必要がある旨の修正意見を付したことには、その判断の過程に、検定当時の学説状況の認識及び旧検定基準に違反するとの評価に看過し難い過誤があり、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというべきである。これと異なる原審の判断には、教科書検定に関する法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は、右をいうものとして理由がある。

5  「沖縄戦」の記述に対する修正意見について

(一)  所論は、本件教科書二八四頁脚注の従来の「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられた。」との記述を「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死をとげたが、そのなかには日本軍のために殺された人も少なくなかった。」と改めるための改訂検定申請に対して、文部大臣が、沖縄県民の犠牲については、最も犠牲者の多い集団自決を加える必要があるとの理由でその記述を加えるべきである旨の修正意見を付したことには、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというものである。

(二)  しかしながら、原審の認定したところによれば、本件検定当時の学界では、沖縄戦は住民を全面的に巻き込んだ戦闘であって、軍人の犠牲を上回る多大の住民犠牲を出したが、沖縄戦において死亡した沖縄県民の中には、日本軍によりスパイの嫌疑をかけられて処刑された者、日本軍あるいは日本軍将兵によって避難壕から追い出され攻撃軍の砲撃にさらされて死亡した者、日本軍の命令によりあるいは追い詰められた戦況の中で集団自決に追いやられた者がそれぞれ多数に上ることについてはおおむね異論がなく、その数については諸説あって必ずしも定説があるとはいえないが、多数の県民が戦闘に巻き込まれて死亡したほか、県民を守るべき立場にあった日本軍によって多数の県民が死に追いやられたこと、多数の県民が集団による自決によって死亡したことが沖縄戦の特徴的な事象として指摘できるとするのが一般的な見解であり、また、集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体の在り方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たらないとするのが一般的であった、というのである。

右事実に照らすと、本件検定当時の学界においては、地上戦が行われた沖縄では他の日本本土における戦争被害とは異なった態様の住民の被害があったが、その中には交戦に巻き込まれたことによる直接的な被害のほかに、日本軍によって多数の県民が死に追いやられ、また、集団自決によって多数の県民が死亡したという特異な事象があり、これをもって沖縄戦の大きな特徴とするのが一般的な見解であったということができる。そして、集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切でないとの指摘もあることは原審の認定するところであるが、多数の県民がなぜ集団自決という異常な形で死に追いやられたのかということを含め、地上戦に巻き込まれた沖縄県民の悲惨な犠牲の実態を教えるためには、軍による住民殺害とともに集団自決と呼ばれる事象を教科書に記載することは必要と考えられ、また、集団自決を記載する場合には、それを美化することのないよう適切な表現を加えることによって他の要因とは関係なしに県民が自発的に自殺したものとの誤解を避けることも可能であり、現に上告人は、最終記述として「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が、砲爆撃にたおれたり、集団自決に追いやられたりするなど、非業の死をとげたが、なかには日本軍のために殺された人びとも少なくなかった。」と修正し、文部大臣もこれをもって合格条件を充足したものとしているのである。所論は、「日本軍のために殺された」という原稿記述には集団自決も含まれるというが、右の原稿記述に集団自決と呼ばれる事象のすべてが含まれていると読むことはできないだけでなく、前述するところからすれば、本件検定当時の学界の一般的な見解も日本軍による住民殺害と集団自決とは異なる特徴的事象としてとらえていたことは明らかである。

(三)  右のような本件検定当時の学界の状況等に照らすと、文部大臣が、沖縄戦を理解するために、原稿記述の「日本軍のために殺された人」に加えて集団自決の事実を記載することは学習指導を進める上で必要であるとの判断の下に、原稿記述部分に集団自決を付加して記載するよう修正意見を付したことには十分な合理的理由と必要性があり、日本軍による住民殺害のみを記載し集団自決の記載を欠く原稿記述は、選択・扱い上不適切であり、特定事項の強調に当たるとの本件修正意見を付したことをもって、裁量権の範囲を逸脱した違法があるとはいえないし、修正によって上告人の原稿記述の意図が殊更まげられたとみることもできないというべきである。これと同旨の原審の判断は正当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決の法令違背をいうものであって、採用することができない。

一三  同第四章第三節(正誤訂正申請の不受理)について

1  原審が適法に確定したところによると、本件教科書の発行者である株式会社三省堂は、昭和五七年一二月二日、昭和五五年度検定済みの本件教科書二七六頁脚注の「日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京を占領し、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺(アトロシテイー)と呼ばれる。」との記述を「中国軍のはげしい抵抗にもかかわらず、ついに南京を占領した日本軍は、多数の中国軍民を殺害した。南京大虐殺(アトロシテイー)とよばれる。」と訂正することの承認を求める正誤訂正申請書を提出しようとしたが、文部省の窓口担当職員は、申請書を検討した結果、申請の趣旨内容が正誤訂正の要件を満たしていないと判断し、その旨を申請書を持参した三省堂の職員に説明して申請について再考を促し、これを受理しなかった、というのである。

2  そこで検討するに、旧検定規則一六条は、検定を経た図書について、発行者は、誤記、誤植、脱字又は誤った事実の記載があることを発見したとき(一号)、客観的事情の変更に伴い、明白に誤りとなった事実の記載があることを発見したとき(二号)、統計資料の更新を必要とするとき(三号)、及びその他学習を進める上に支障となる記載で緊急に訂正を必要とするものがあることを発見したときは(四号)、文部大臣の承認を受け、必要な訂正を行わなければならない旨を規定しており、また、原審の適法に確定したところによれば、正誤訂正手続は、検定手続とは異なり、検定審議会の議を経ないでされるものであるというのである。

3  そうだとすると、正誤訂正申請の手続は、教科書の記載に、誤記、誤植に類した明白な誤りがある場合にこれを改めるためのものであると解するのが相当である。そして、本件の正誤訂正申請に係る前記記述は、歴史的事実についての認識いかんによっては誤りといえるか否かについての見解が分かれ得る事柄であり、この理は、昭和五七年に旧検定基準が所論指摘のように改正されたことによっても異なるところはない。したがって、本件の正誤訂正申請は、その制度の趣旨になじまないものというべきであり、本件の正誤訂正申請を要件を満たしていないとして受理しなかったことに違法はないものというべきである。本件正誤訂正申請の不受理を理由にする上告人の請求を認めなかった原審の判断は、結論において是認することができる。原判決に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に立って原判決の法令違背をいうか、又は原判決の結論に影響のない説示部分を論難するものであって、採用することができない。

一四  同第五章(損害額の認定)について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。

一五  結論

1  以上によれば、昭和五八年度検定における「七三一部隊」の原稿記述に対する修正意見についての原審の判断の違法をいう限りで論旨は理由があり、この点において原判決は破棄を免れないが、その余の論旨はいずれも採用することができない。

2  そして、文部大臣が右修正意見を付した過程に看過し難い過誤があること前示のとおりであるから、文部大臣は、その職務を行うについて、上告人に対し、故意又は過失によって違法に損害を加えたものというべきところ、上告人は、昭和五五年度の新規検定の際の原稿記述二箇所に修正意見、二箇所に改善意見を付されたこと、昭和五七年に正誤訂正申請を受理されなかったこと及び昭和五八年度の改訂検定の際の原稿記述五箇所に修正意見を付されたことによって精神的苦痛を被ったとして総額二〇〇万円の慰謝料請求をし、一審判決は、昭和五五年度の新規検定の原稿記述一箇所に修正意見を付したことを違法と認め、一〇万円の限度で右請求を認容し、原審判決は、右一審判決の認容部分を是認したほか、更に昭和五五年度の新規検定の際の原稿記述一箇所及び昭和五八年度の改訂検定の際の原稿記述一箇所にそれぞれ修正意見を付したことを違法と判断し、慰謝料額を一審認容分と合わせ合計三〇万円(昭和五五年度検定分二〇万円、昭和五八年度検定分一〇万円)とするのが相当と判断している。原審の右慰謝料額の認定が正当として是認されるべきことは既述のとおりであり、昭和五八年度検定については更に「七三一部隊」の原稿記述に修正意見を付したことが違法であること前示のとおりであって、原審が確定した本件事案の内容及び経緯等にかんがみると、昭和五八年度検定に関して合計二箇所の原稿記述に違法な修正意見を付されたことによって被った上告人の精神的苦痛に対する慰謝料としては、二〇万円をもって相当というべきである。そうすると、上告人の本訴請求は、昭和五五年度、昭和五八年度の検定に関して、合計四〇万円とこれに対する損害発生の後である昭和五九年二月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきものである。

3  以上の次第であるから、原判決を主文第一項のとおり変更することとし、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、八九条、九二条に従い、判示一二の2ないし4について裁判官園部逸夫の補足意見、判示一二の2及び3について裁判官大野正男、同尾崎行信の各反対意見、判示一二の4について裁判官千種秀夫、同山口繁の各反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

判示一二の2ないし4についての裁判官園部逸夫の補足意見は、次のとおりである。

私は、本判決の理由中意見が分かれている判示一二の2ないし4について、いずれも多数意見に与するものであるが、最高裁昭和六一年(オ)第一四二八号平成五年三月一六日第三小法廷判決・民集四七巻五号三四八三頁に関与した者として、右判決の採用した裁量権濫用に関する判断基準を当小法廷において適用するに当たり、右判決の理由中の判断との整合性を勘案しつつ、次のとおり、多数意見を補足しておきたい。

一  「朝鮮人民の反日抵抗」について私も、日清戦争が始まった後、朝鮮に進出した日本軍に対して、朝鮮人民が武器を取って抵抗したという事象があったということを教科書に記述することが不適切であると思っているわけではない。かえって、反対意見と同じように、日清戦争の性格や近代日本と朝鮮との関係を正しく理解させるという面において、右のような記述は必要なことと考える。

しかしながら、ここで間題なのは、一八九四(明治二七)年の秋に朝鮮各地で起こった民衆の武装蜂起は、昭和五八年の本件検定当時、一般に、東学党の乱の再挙又は甲午農民戦争の秋の蜂起と呼ばれていたということである。同年の春に東学党の指導者である全璋準が指導したいわゆる東学党の乱(初発)が日清戦争の直接の契機となったことはよく知られているところであるが、日清戦争開始後に起こった反日抵抗としての武装蜂起も右全璋準が指導したものとして知られ、このため、日清戦争開始後に起こった武装蜂起が東学党の乱の再挙とも呼ばれていたのである。いずれも農民が蜂起の中心であったことから、蜂起の年の干支を冠して甲午農民戦争とも呼ばれているのであるが、この甲午農民戦争の秋の蜂起と呼ばれる事象の中には、全璋準の指導による蜂起以外にも各地で起きた蜂起があったとするのが中塚教授の見解であるものの、昭和五八年当時の一般的な歴史書では、東学党の乱と甲午農民戦争とを明確に区別しておらず、また、甲午農民戦争と呼ばれる事象とは区別される反日抵抗があったという見解は、昭和五七年一二月に公刊された朴宗根「日清戦争と朝鮮」によって明らかにされたが、右著作も、全璋準の蜂起が反日抵抗の中心であり、それ以外の反日抵抗については研究が十分でないと指摘していた上、朴教授の右見解は、昭和五八年の本件検定当時必ずしも一般的な見解とはなっていなかったというのが原審の認定である。右のような検定当時の学説状況に照らすと、「反日抵抗がたびたびおこっている。」と記載するのみでは、それが何を指すのか、東学党の乱の再挙又は甲午農民戦争の秋の蜂起と呼ばれる事象とどのように関係するのか、一般の高校教師にとっても理解が困難というべきであり、この観点から、反日抵抗の中心であったとされる全璋準らの蜂起を記述するのであれば、同人らが起こした東学党の乱(初発)とのかかわりまで含めて記述すべきであるとした修正意見は、合理的であるということができ、文部大臣が修正意見を付した判断の過程に看過し難い過誤があるとはいえないのである。

反対意見は、修正意見に従った結果、「労力・物資の調達などで人民の協力を得られないことがたびたびあった。」と抽象的に記述した最終記述が合格となっていることをとらえ、文部大臣の修正意見を適法とした原審の判断を非難するが、この非難は当たらないものと思われる。問題とすべきは最終記述の適否ではなく、原稿記述に対する修正意見の適否である上、右の最終記述が、原稿記述の「反日抵抗」とは別の事象、すなわち、日本政府は、日清戦争開始後、朝鮮政府との間で「大日本大朝鮮両国盟約」を締結し、日本軍の朝鮮における人馬・糧食の徴発を可能にしたが、これに対して朝鮮民衆が大いに反発して協力しないこともあったという事象を指していることは明らかであり、右事象自体は、東学党の乱など他の事象とのかかわりに触れて記述する必要はないからである。

二  「日本軍の残虐行為」について反対意見は、「このために」で始まる脚注の本件原稿記述は、直前の第八路軍に関するものではなく、本文の日中戦争全体に関するものと読むべきであるとしている。「このために」という表現である以上、その原因あるいは基になる事柄があるはずで、本文に直接つながるとすると、本文末尾の「中国民衆のねばりつよい抵抗を屈伏させることができなかった。」を受ける文章ということになるが、本文と脚注をこのようにつなげて読むことには無理がある。むしろ、本件原稿記述は、多数意見のように、第八路軍のゲリラ戦に悩まされた日本軍の行動が記述されたと読む方が自然であり、原稿記述の「住民の殺害」や「村落の焼き払い」は、ゲリラ戦を行う第八路軍の拠点となった解放地区に対する日本軍の攻撃を表現したものと理解せざるを得ない。反対意見は、文部大臣は本件原稿記述を華北に限定した記述として理解していなかったというが、記録(甲第二〇号証)によれば、文部大臣は、「このために、日本軍はいたるところで」とあるのは「解放地区のいたるところで」ではないか、もう少し明瞭にして欲しいとの改善意見を付しており、これに対して、上告人は、住民殺害や村落焼き払いなどは決して解放地区だけで行われていたのではなく、日本軍の占領地区や日中両軍の中間地区でも行われていたとし、「解放地区」に限定しない方がよいとして改善意見に従わなかったことが認められる。したがって、少なくとも文部大臣は、本件原稿記述が解放地区のある華北などの記述であることを前提とした上で、解放地区に限定するのが望ましいとの見解を有していたことがうかがえるのである。

また、反対意見は、文部大臣も問題にしていなかった華北と南京とを区別して裁判所が修正意見の適否を判断することは、文部大臣と異なる理由をもって修正意見の適否を判断するものであり、許されないかのようにいう。しかしながら、歴史上の事柄を構成する事象が、たとい同じような事象(ここでは日本軍による貞操侵害行為)であっても、それを記述することが事柄の全体像を正しく理解させる上で有益かつ必要な場合もあれば、むしろ全体像の理解を困難なものにし、ときにはゆがんだ理解をもたらすおそれがある場合もあるのであり、同じ事象をある場面で記述することが適切であるからといって、他の場面でもこれを記述することが適切であるということに当然にはならないのである。多数意見は、歴史上の事柄を構成する個々の事象を記述することが適切か否かについて、その事象が特徴的といえるかどうかを一つ判断基準にしているのであるが、右は旧検定基準の解釈の問題である。したがって、裁判所としては、右のような判断の下に、当該事象が特徴的といえるか否かを認定判断し、その結果に従って、ある記述に対する修正意見を適法とし、あるいは不適法とすることができるのであって、原審が、華北などの戦場における貞操侵害行為と南京におけるそれとについて異なる判断をしたからといって、修正意見を付した文部大臣の理由と異なる理由をもって修正意見の適否を判断したことにはならず、所論弁論主義違反の違法もないのである。

三  「七三一部隊」について

近現代史における歴史上の事柄については、様々な理由からその全容が明確にされていないものも少なくはない。殊に戦争期における事柄については、あるいは混乱の中で起こった事柄であるため、あるいは関係者の多くがその事柄によって死亡してしまったため、あるいは記録が何らかの理由により失われてしまったためなど、様々な理由により、必ずしもその原因や経緯、被害者の正確な数などが明確にならないものが少なくないのである。例えば、本件教科書でも問題とされた南京事件の実態や沖縄戦の住民被害の実態なども、今日に至ってもなお不明な部分があることは否定できないのである。しかしながら、そうであるからといって、南京事件がなかったわけではなく、沖縄戦の住民被害がなかったわけでもない。事柄の全容が正確に解明されない限り、教科書に記述することが不適切であるということはできないことは右の例からも明らかといえよう。

殊に「七三一部隊」についていえば、これは日本軍によって生体実験が行われたという異常な事件であり、関係記録は、敗戦間際、国際的非難を恐れた軍部によって組織的に廃棄され、また、被害者で生き残った者はないといわれており、正規の記録によってはその実態を検証することが困難な事例である。それにもかかわらず、七三一部隊の行った所業については、戦後間もないころから歴史家、小説家、ジャーナリスト等による調査等によって次第に明ちかにされてきたのであり、昭和五八年当時の学説においても、資料の正確性に疑問を呈する見解はあったものの、七三一部隊の存在とその所業自体を否定するものはなかったといえるのである。本件原稿記述は、被害者の数などの点において適切さを欠く疑いがある部分もあるが、七三一部隊の存在とその所業を教科書に記述することは時期尚早との理由で、原稿記述を全部削除しなければならないほどに不適切とはいえないというべきであり、原稿記述の全部削除を求めた修正意見には、その判断の過程に看過し難い過誤があるものと考えるのである。

判示一二の2及び3についての裁判官大野正男の反対意見は、次のとおりである。

私は、判示一二の2「朝鮮人民の反日抵抗」と同3「日本軍の残虐行為」に関する多数意見の判断には反対であり、右の点についての原稿記述に対して文部大臣が修正意見を付した過程には看過し難い過誤があって国家賠償法上の違法があると考えるものである。以下にその理由を述べる。

一  最初に、いわゆる第一次教科書訴訟についての最高裁昭和六一年(オ)第一四二八号平成五年三月一六日第三小法廷判決・民集四七巻五号三四八二頁(以下「一次判決」という。)の看過し難い過誤論について私の理解するところを述べる。

1  一次判決の「看過し難い過誤」という用語は、最高裁昭和六〇年(行ツ)第一三一二号平成四年一〇月二九日第一小法廷判決・民集四六巻七号一一七四頁を踏襲したものであるが、右判決は、原子炉設置許可処分の取消訴訟における原子炉施設の安全性に関する審査につき、違法性に関する裁判所の判断の基準を示したものであって、右審査が高度に科学的専門技術的知見に基づく総合的判断であることを前提としている。しかし、その場合であっても右判決は行政庁に大幅な裁量権を認めたものではなく、裁判所は行政庁の判断が相当の根拠資料に基づいてなされた合理的なものであるか否かを審査すべきものとして、裁量的要素の強い行政処分の違法性を審査する場合に比して司法審査の幅を広げているのである。

2  そして一次判決は、教科書検定の問題を科学的専門技術的な問題として判断しようとしているのではなく、その対象が教育権に関するものであるとして、教育権に関する先例である最高裁昭和四三年(あ)第一六一四号同五一年五月二一日大法廷判決・刑集三〇巻五号六一五頁(以下「学テ判決」という。)をほとんど全面的に引用しこれに依拠することを明示している。

学テ判決は、「一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実施すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する」として、教育内容に対する国の権限を認めたが、その権限行使の在り方については、教育が「本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきでない」ことを重視し、「教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その入格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や「方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許されない」と判示して、国の教育内容への介入は必要かつ相当の範囲で認めちれるが、できる限り抑制的であることが要請されることを明示している。

3  一次判決も教科書検定における国の権限を認めたが、大幅な裁量権を是認しているわけではなく、教科書検定における「看過し難い過誤」の基準の具体的適用に際しては客観的な観点を例示して、文部大臣の裁量の範囲を画している。すなわち、(一)原稿記述が誤りであるとして他説による記述を求める場合は、検定意見の根拠となった学説が通説、定説として学界に広く受け入れられており、原稿記述が誤りと評価し得るか、(二)原稿記述が一面的断定的であるとして両説併記等を求める場合は、学界においていまだ定説とされる学説がなく、原稿記述が一面的であると評価し得るか、(三)内容の選択や内容の程度等に関する検定意見は、原稿記述の学問的な正確性ではなく、教育的な相当性を問題とするものであって、取り上げた内容が学習指導要領に想定する教科の目標等や児童、生徒の心身の発達段階等に照ちして不適切であると評価し得るか、が挙げられている。

4  しかし、右例示は修正意見(旧A意見)と改善意見(旧B意見)を区別して述べておらず、両者を併せて検定意見と表示して同一に論じている。これは一次訴訟の一審判決から上告審判決まで全体を通じてみられるところであるが、右両者は法的性格を異にしており、それを同一の基準で評価することはできない。教科用図書検定審査内規が検定意見を二種類に分け、原稿記述に「訂正、削除又は追加などの措置をしなければ教科用図書として不適切であるとき」に修正意見を合格の条件とし得るとし、その程度に至らないが、「訂正、削除又は追加などの措置をした方が教科用図書としてよりよくなると認められるとき」は改善意見として指摘し得ると規定しているのは両者を明確に区別する趣旨である。すなわち、改善意見は、文部大臣による意見の表明であって、執筆者、出版社に対しで法的拘束力をもたない助言、指導という行政指導であり、これに従わなくともそれによって不利益な処遇を受けないが(現に本件において文部大臣が付した本件改善意見に上告人は応じなかったが、検定は合格とされ、原稿記述のまま出版されている。)、修正意見は、指摘された箇所を訂正、削除又は追加しない限り教科書としては不合格とするという重大な不利益を与える行政処分である。したがって、このような行政処分をするに当たっては、修正意見の内容が合理的であるのみならず、原稿記述の欠陥が訂正、削除又は追加されない限り教科書として不適切であると評価せざるを得ない程度に達していることを要すると解すべきものである。

5  法廷意見が判示九において修正意見と改善意見の法的性格の相異を記述したのは適切であるが、それは改善意見が違法となる場合の要件を緩和したにとどまるだけではなく、その反面修正意見についての合理性と必要性については厳格に解すべき理由となるものと考える。少なくとも修正意見の内容が相当であれば当該修正意見が直ちに適法とされるものではなく、修正意見が適法か否かは、原稿記述が修正意見のように修正しない限り教科書の記述として不適切であるという程度にまで達しているか否かによって判断しなければならないのである。

二  「朝鮮人民の反日抵抗」に関する記述について

1  原審は、次のように事実関係を確定している。

(一)  上告人は、「一八九四(明治二七)年、朝鮮に東学党の乱がおこると両国は出兵したが、乱鎮定後の内政をめぐって両国の関係はさらに悪化し、同年八月ついに日清戦争がはじまった。その翌年にわたる戦いで、日本軍の勝利がつづいた。」との教科書の記述を、「一入九四(明治二七)年、ついに日清戦争がはじまった。その翌年にわたる戦いで、日本軍の勝利がつづいたが、戦場となった朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこっている。」と書き換えようとする改訂検定申請をした。

(二)  文部大臣は、これに対し、「朝鮮人民の反日抵抗」とは何を指すのか(東学党の乱の再挙のことなのか否か)が分かちない、原稿記述は高等学校の教師、生徒にとって理解が困難であり、学習指導を進める上に支障があるから「戦場となった」以下を削除する必要がある旨の修正意見を付し、その修正を条件とする合格を通知した。

(三)  このため、上告人は、「一八九四(明治二七)年、ついに日清戦争となり、その翌年にわたる戦いで日本軍は勝利を重ねたが、戦場となった朝鮮では労力・物資の調達などで人民の協力を得られないことがたびたびあった。」と記述を修正した。文部大臣は、右修正により条件を充足したと認めて検定合格とした。

2(一)  このような検定の経過に照らせば、修正意見は、「朝鮮人民の反日抵抗」の原稿記述は意味が分からず、高度な学術的研究の成果によるとしてもまだ学界に紹介されていない一説であるとの前提に立って、高等学校の教師、生徒にとって理解が困難であるという判断に達していることが明らかである。

(二)  しかしながち、原判決は、他方において、奈良女子大学教授中塚明著「日清戦争の研究」及び都留文科大学講師(現熊本商科大学教授)朴宗根著「日清戦争と朝鮮」は、日本軍が清国と戦うため朝鮮に進出すると、これに対し朝鮮人民は日本軍に対する非協力という消極的抵抗を試みただけでなく、武器を取って積極的に日本軍に抵抗し、一八九四年の秋に入ると公然たる反日武装抵抗が各地に広がったことを明らかにしたと認定し、中塚、朴両教授の見解を前提とすれば、本件原稿記述が東学党の乱の再挙を含むいわゆる甲午農民戦争の秋の蜂起のみならずその前後に起きた組織的、散発的なあらゆる形態での朝鮮人民によるすべての反日抵抗を指すものであることが理解できる旨判断しているのである。

(三)  そして、右中塚教授の著作は既に昭和四三年に公刊されたものであり、「日本史研究」第九九号(昭和四三年)において京都大学人文科学研究所助手井口和起から、「史林」第五一巻四号(昭和四三年)において花園大学教授姜在彦かち、それぞれ高い評価を受けており、朝鮮史研究会編「新朝鮮史入門」(昭和五六年)、中村道雄外編「世界史のための文献案内」(昭和五七年)、「日本の歴史26日清・日露」付録『月報26賄(昭和五一年)においても日清戦争に関する基本的文献の一つとして掲げられ、また、中塚教授は、昭和四九年に公刊された万有百科事典の「日清戦争」及び「東学党の乱」においても、前記著作と同旨を記述していることは原審の認定するところである(なお、記録によれば、高等学校の教師・生徒のための文献として編集された右「世界史のための文献案内」には、中塚教授の前記著作は、「日清戦争が日本近代史上初の本格的な対外戦争であった全貌を明らかにしようとするもの」として紹介されているのである。)。そして、中塚教授が明らかにした武装による積極的抵抗の存在を否定し、あるいは、その反日抵抗としての歴史的性格を疑問とする学説の存在は認定されていない。

四  原判決及び多数意見は、検定当時の他の教科書が東学党の乱に触れずに再挙について触れたものはないことを理由の一つとして、東学党の乱に触れることなくその再挙ともいわれる秋の事象を記述するのは高等学校の教師と生徒に混乱を生じさせるものであるというのであるが、改訂原稿記述は、東学党の乱の再挙のみでなくその前後に起きた農民の蜂起全体を含むものであり、それが宗教戦争ないし純然たる内政問題であるとの誤解を避けるために、東学党の乱に触れずに記述しているのである。

(五) 改訂原稿記述は、このように日清戦争の際に生じた日本の朝鮮への武力進出に対する朝鮮人民の積極的抵抗と東学党の乱とは歴史的性質を異にするものとの認識の下に書かれているのであり、このような見解を支持する学説状況も前述のとおりであって、原稿記述を誤りと評価することはできない。

また、文部大臣が従来の学説との関係上東学党の乱を記述した方がより明確に理解できると考えたのであるならば、単に東学党の乱の記述を付加することを改善意見として求めればよいだけのことであって、「人民の反日抵抗」の記述についてその削除まで求める必要性を認めることはできない。

(六) しかも、上告人が右修正意見によって、「戦場となった朝鮮では労力・物資の調達などで人民の協力を得られないことがたびたびあった。」と記述を変更したところ、文部大臣は、条件が充足されたと認めて、合格としているのである。改訂原稿記述と合格した右記述を比べれば一見して明らかなように、いずれも東学党の乱の記述はなく、「人民の反日抵抗」が「労力・物資の調達などで人民の協力を得られないこと」に変わっただけである。右変更をもって、文部大臣が合格条件を充足したと認めたことは、東学党の乱という宗教上の内紛と切り離して朝鮮人民の反日抵抗を記述するときは、非協力抵抗の範囲に止めるべきであり、積極的抵抗を記述するのは教科書の記述としては不適切であるとの見解に基づくと考えるほかはない。しかしながら、朝鮮人民の日本軍に対する抵抗の中に、多数の人民が武器を取って闘うという積極的反抗(記録によれば、中塚、朴両教授の前記著作は、一八九四年秋には数百から時に万をもって数える朝鮮人民の日本軍に対する武装蜂起があったことを記述していることが認められる。)があるのに、非協力という消極的抵抗のみを記述するよう修正させる結果となったというのは、歴史的事実の選択の観点からみればいかにも不合理、不適切である。

原判決は、教育の専門技術的立場から原稿記述の内容を明確にして歴史的事象を正しく理解させ得るものに修正させようとする趣旨のものであったというのであるが、右のごとき原稿記述の変更によって高等学校の教師・生徒に対し歴史的事象の何を正しく理解させることになったのか少しも判然としない。

(七) 特に近現代の歴史を記述するに当たっては、自国の発展や利害の視点のみに立って歴史的事象の取捨選択や評価をすべきではなく、広い視野に立ってこれを行うべきであり、このことは、昭和五七年の旧検定基準の改正によって「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際的理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」との規定(第三章第二節(社会科の必要条件)第一の3の(15))が新たに設けられたことに徴しても明らかである。「朝鮮人民の反日抵抗」の原稿記述は、日清戦争を日本の近代化という側面からだけではなく、朝鮮への日本軍の軍事的進出が朝鮮人民に与えた影響という側面でも取り上げたものであって、その配慮に基づく記述を高等学校の歴史教科書から削除する必要があるとする教育的観点を発見することはできない。教育的観点を考えるならば、むしろ次の警世の言葉に留意すべきであろう。「教科書にうそを書くーとくにごく近年のことをすり替えた修辞で書くー国は、やがてはつぶれます」(司馬遼太郎「対談集・東と西」二四三頁>。

3 このように、本件修正意見が原稿記述をもって理解が困難であり、選択・扱い上不適切であるとする判断の過程には、学説の認識においても教育的配慮の面においても看過し難い過誤があり、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというべきである。

三  「日本軍の残虐行為」に関する記述について

1  原審は、次のように事実関係を確定している。

(一)  上告人は、「とくに第八路軍は華北などに広大な解放地区をつくりだし、住民の支持をえて、点と線とをたもっているにひとしい日本軍にくりかえし攻撃を加え、ゲリラ戦の経験のない日本軍をなやませた。」との従前の教科書の記述の脚注の後に、「このために、日本軍はいたるところで住民を殺害したり、村落を焼きはらったり、婦人をはずかしめたものなど、中国人の生命・貞操・財産などにはかりしれないほど多大の損害をあたえた。」と付加する旨の改訂の検定を申請した。

(二)  文部大臣は、これに対して、軍隊において士卒が婦女を暴行する現象が生ずるのは世界共通のことであるから日本軍についてのみそのことに言及するのは、選択・扱い上不適切であり、また特定の事項を強調しすぎるものであるとする修正意見を付し、この修正を条件とする合格を通知した。

(三)  このため上告人は、右修正意見に従い、付加部分の記述中「婦人をはずかしめる」「貞操」の字句を削除して「このために、日本軍はいたるところで住民を殺害したり、村落を焼きはらったりして、中国人の生命・財産などにはかりしれないほど多大の損害をあたえた。」と修正した。文部大臣は右修正により条件を充足したと認めて検定合格とした。

(四)  検定当時の学説状況によると、日中戦争期の日本軍に貞操侵害が多かったとする多くの史料と一橋大学教授藤原彰、愛知大学教授江口圭」らの見解が存在し、中国における戦場全般を通じて貞操侵害が異常に多かったことが指摘されていることは認められるが、他方児島蓑のように日本軍の強姦行為をもってきわだって特徴的とすることに慎重な見解もあり、華北などの戦場における貞操侵害行為に関して具体的な事実を記載した資料がなく、華北の戦場において中国における他の戦場の場合と比べて、特に取り上げて記述すべきほど特徴的に貞操侵害行為が頻発しあるいは残虐であったとする有力な説は見当たらない。

2  そして原判決は、本件原稿記述は華北の貞操侵害を記述したものであるところ、華北における貞操侵害が特徴的に多発しているとの学説・資料はないのであるから、これを記述することが特定事項の強調であるとする修正意見に看過し難い誤りがあるとはいえないと判断し、多数意見はこれを支持している。

3  しかしながら、本件改訂原稿の記述を華北に限定した記述と読むことには賛成できない。

(一)  すなわち、原稿記述は、なるほど「とくに第八路軍は華北などに広大な解放地区をつくりだし、住民の支持をえて、点と線とをたもっているにひとしい日本軍にくりかえし攻撃を加え、ゲリラ戦の経験のない日本軍をなやませた。」との教科書の脚注の後に付加される記述であるが、右脚注は本文の全体に対する注になっている。そして右本文が中国本土全般にわたる記述であることは、「日本軍は広大な戦線に大量の人員・兵器を消耗しながらも、一九四五(昭和二〇)年八月日本が降伏するまで、ついに国民党・共産党にひきいられた中国民衆のねばりつよい抵抗を屈伏させることができなかった」と記述していることから明らかであり、脚注にも、「華北など」と広い含みをもった用語が用いられていること、「いたるところで」「中国人」など中国全般をさす語句が使用されており、更に右脚注の改訂原稿部分は中国ハルビン郊外で行われた七三一部隊の生体実験の記述に接続していることをみると、必ずしも右改訂記述部分が華北に限定した記述であると読む必要はなく、むしろ日中戦争全体の記述と読むのが素直である。

(二)  現に、本件訴訟の当事者双方も一審、原審のいずれにおいても、本件記述が華北に関する記述であるとは主張しておらず、いずれもそれが中国戦場全般にわたる記述であることを前提として主張立証を行っているのである。したがって、本件記述が華北についての記述であることを前提として、華北において貞操侵害が多く行われたことの立証がないとする原判決は、本件記述について当事者双方の主張しない認識にたって判断し、修正意見を是認しているものであり、甚だ奇異であるといわざるを得ない。

(三)  その上仮に文部大臣が改訂箇所を華北に限定した記述として理解するのであるならば、検定意見としては、脚注の中の右付加部分がそのように読まれることを避けるため、「このために」の接続語を削除又は訂正するなど文章上の工夫をするように助言・指導すれば足りる程度のことであって、「婦人をはずかしめるもの」と「貞操」という語句の削除を命ずる理由とはならない。

(四)  そもそも本件修正意見は、文部大臣が華北に貞操侵害が特に多いとする学説資料がないから削除を命じたのでは全くなく、戦時の軍隊において士卒が婦女子に暴行する現象は世界共通のことであるから日本軍のことだけ書く必要はない、という理由に基づくことは明らかであって、裁判所としてはそのような理由によって修正意見を付することが違法か否かを判断すればよいのであり、修正意見の理由を差し替えたうえ、その当否を判断すべきものであるとは考えられない。

4  そこで、更に進んで右原稿記述が、中国における戦場全般にわたるものであることを前提として、軍隊において士卒が婦女を暴行する現象は世界共通のことであるから日本軍についてのみそのことを言及するのは選択・扱い上不適切であり、また特定の事項を強調しすぎているという修正意見の適法性を判断する。

(一)  原判決は、日本軍兵士の中国人女性に対する暴行について、検定当時における学界の状況によって検討すれば、中国における戦場全般を通じて、日本軍兵士が中国人女性に対し貞操侵害行為を行い、その数が異常に多数であったことが指摘されている旨認定しているのであるから、それが特に多かったと断定するのは困難であるとする学説に依拠して、右記述の削除を求めることは、学界に広く認められている説に基づく記述の排除を求めるに等しく、学説状況の認識過程に看過し難い過誤があるというべきである。

(二)  また、日本軍が与えた中国全般にわたる被害を叙述するときに、軍隊において士卒が婦女を暴行するのは世界共通の現象であることを理由に、日本軍についてのみそのことを記述するのは選択・扱い上不適切であるから削除すべきであるとの修正意見は、我が国の軍隊が戦時において近隣諸国の民衆に与えた重大な被害に目を覆うものであって許されないというべきである。けだし、戦時の軍隊において士卒が婦女子に暴行を加えることは歴史上に多くの例がみられるとはいえ、二〇世紀における日本軍が一五年にわたる中国での戦場において中国人女性に対し多くの貞操侵害行為を行ったことによって中国など近隣諸国の民衆に与えた傷の深さとその影響を考えるとき、右記述の削除を条件とすることは、むしろ、我が国と近隣諸国との国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がなされることを定めている旧検定基準第三章第二節第一の3の(15)に反するものである。我が国が近現代において近隣諸国の民衆に与えた被害を教科書に記述することは特殊な片寄った選択ではなく、また自国の歴史を辱めるものでは決してない。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」(永井清彦編訳・ヴァイツゼッカー大統領演説集一〇頁)という見解を我が国高等学校の日本史教科書検定において排除しなければならない理由を私は知らない。

5  改訂記述をもって選択・扱い上不適切であり、特定の事項を特別に強調しているとする右修正意見を付した過程には、学説、資料の認識の面においても、また、教育的配慮の面においても看過し難い過誤があり、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというべきである。

判示一二の2及び3についての裁判官尾崎行信の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見と異なり「朝鮮人民の反日抵抗」及び「日本軍の残虐行為」の各原稿記述について、文部大臣が修正意見を付したことは違法と考えるので、以下その理由を述べる。

一  「朝鮮人民の反日抵抗」の記述について

1  原審が確定したところによれば、時野谷教科書調査官は、「朝鮮人民の反日抵抗」の原稿記述について、削除を求める修正意見の理由として、この原稿記述は旧検定基準のうちの、必要条件である第一〔教科用図書の内容とその扱い〕3(選択・扱い)(1)「本文・問題、資料などの選択及び扱いには、学習指導を進める上に支障を生ずるおそれのあるところなどの不適切なところはないこと」に適合しないと告知したというのである。

したがって、本件においては、「朝鮮人民の反日抵抗」に関する原稿記述は、これを削除しなければ、学習指導を進める上で支障が生ずるおそれがあるほどに不適切といえるかが検討されなければならない。

2  ところで、日本軍が清国と戦うために朝鮮に進出すると、朝鮮人民は、日本軍に対する非協力という消極的抵抗を試みただけでなく、武器を取って積極的に日本軍に反抗し、一八九四年の秋には、甲午農民戦争の秋の蜂起と呼ばれる公然たる抗日武装闘争が各地に広がったという事実は、昭和四三年に公刊された奈良女子大学教授中塚明の「日清戦争の研究」によって学界に知られ、中塚教授は、昭和四九年に公刊された万有百科大事典(小学館)の「日清戦争」及び「東学党の乱」の項においても同趣旨を記述したこと、右中塚教授の見解は、東学党の乱と甲午農民戦争を区別し、特に甲午農民戦争の秋の蜂起は、日本の侵略に対する朝鮮人民の民族解放闘争という性格をもっていたというものであるが、この見解は、日本史研究者等から高い評価を受け、前記「日清戦争の研究」は、昭和五一年発行の小学館「日本の歴史26」、昭和五六年発行の朝鮮史研究会編「新朝鮮史入門」、昭和五七年発行の中村道雄外編「世界史のための文献案内」などにおいて、日清戦争に関する基本文献の一つとして掲げちれ、また、上智大学教授藤村道生著「日清戦争」(昭和四八年)、岩波講座「世界歴史2」(昭和四四年)の甲午農民戦争の項(花園大学教授姜在彦執筆)、都留文科大学講師(現熊本商科大学教授)朴宗根著「日清戦争と朝鮮」(昭和五七年)などでも、日清戦争及び甲午農民戦争の性格について、中塚教授と同様の見解が明らかにされたこと、以上は原審の認定するところである。

他方、記録によれば、従来の多くの歴史書ないし歴史教科書は、東学党の乱(初発)を日清戦争の勃発の契機としてとらえ、東学党が当時の政権に反抗して決起すると、政府はその鎮圧のため清国に援助を求め、清国が出兵したため、日本は朝鮮半島における主導権を奪われることをおそれ自らも出兵し、その結果日清間に戦争が起こったと説明してきたことが認められる。

そして、本件教科書においても、本件改訂以前には「(清は)日本の朝鮮進出をよろこばず、朝鮮における日清両国の覇権の争いをめぐり……二回にわたり……事変が発した。その後も日本は朝鮮を属国と主張する清と争い、朝鮮における日本の主導権をうちたてることにつとめた。」との記述に続き、東学党の乱が起こると両国の関係はさらに悪化した旨述べた上、』八九四年(明治二七年)八月ついに日清戦争がはじまった。」と結んでおり、東学党の乱は日清戦争の直接の契機として記述されていたのである。

3  右によれば、従来の歴史書や教科書においては東学党の乱の初発を日清戦争の直接の契機として記述しているが、日清戦争の原因は、日本と清国の朝鮮半島における覇権争いであったのであり、この点が本件教科書において明示されている以上、東学党の乱を記載することは必要不可欠とはいえず、本件改訂検定の申請に係る原稿記述のように、東学党の乱の記述を省いても、日清戦争を理解させる上で支障はないというべきである。

しかも、本件の原稿記述は、日本軍の朝鮮半島への進出に対して朝鮮人民が抵抗した事実があったことも記載しようとしたものであり、この原稿記述に対する文部大臣の修正意見も日清戦争の契機として東学党の乱を記載するよう求めたものではない。

4  前記2のとおり、日清戦争時に朝鮮人民の反日抵抗があった事実は、中塚教授が「日清戦争の研究」で明らかにして以来、広く知られるようになっており、この人民の反日抵抗が東学党の乱の初発とは性質を異にするものであったというのが中塚教授らの見解であったのである。そうであれば、東学党の乱の初発を記載することは、朝鮮人民の反日抵抗を記述する上で必要であるということはできないのであり、東学党の乱の初発の記載がなくとも、朝鮮人民の反日抵抗の事実を教える妨げにはならないというべきである。従来の教科書などが、東学党の乱に言及していたのも、戦争の契機としてであって、原審も、これを反日抵抗と関係づけていたものがあったとは認定していないし、記録上もそうしたものはなかったことがうかがわれる以上、他の教科書がこの乱の初発を記載したからといって、反日抵抗に関し記述する本件原稿に、同様の記載を求める根拠とすることはできない。

原審は、「これまで一般に一八九四(明治二七)年の秋に朝鮮で生じた民衆の蜂起について、東学党の乱の初発に対する再挙という呼称で説明され、あるいは甲午農民戦争の秋の蜂起の呼称で記述されているところからすれば、原稿記述のように、従来の呼称によって呼びならわされているこれらの事象との関連性等について何らの説明を加えることなく、単に『朝鮮人民の反日抵抗』という記述だけにとどめるときは、それがどのような視点から、どのような歴史的事象を指すのか分明でないばかりでなく、一般に東学党の乱(再挙を含む)あるいは甲午農民戦争と呼ばれる事象の理解との間に混乱が生ずることが懸念される」という。

しかし、右懸念があるとするのは、既に昭和四三年に中塚教授の研究が公刊され十数年にわたり多くの支持を得ているなど、前記2のように原審が認定する本件検定当時の学説状況を無視するものであり、当時の学説状況に照らせば、一般の高等学校の教師に期待される知識、理解力を前提とすれば、そのような懸念はないというべきである。しかも、従来から一八九四(明治二七)年秋に東学党の乱(再挙)又は甲午農民戦争と呼ばれる事象があったことは広く知られ、むしろそのほかのものは知られていなかったというのであるから、教師らが原稿記述をみて一般歴史書に当たれば、必然的に右事象に到達することは明白である。あえて東学党の乱の初発を記述しなくとも、高等学校の教師、生徒に指導上、学習上の困難が生ずるおそれはないのである。

5  本件修正意見の結果、最終的な記述は、「一八九四(明治二七)年、ついに日清戦争となり、その翌年にわたる戦いで日本軍は勝利を重ねたが、戦場となった朝鮮では労力・物資の調達などで人民の協力を得られないことがたびたびあった。」となったところ、原審判決は、この「最終記述がどのような経緯によって決定されたものかは」証拠によっても明らかでなく、検定側の指示によって内容が決定したと認める証拠はないという。原稿記述が文部大臣によって拒否された結果、検定に合格した教科書の出版を希望する出版社及び著者として文部大臣の受容するところまで譲歩せざるを得なかったことは容易に推定し得るところであるが、その点は措いても、最終記述によって検定が合格していることに照らせば、文部大臣は、「戦場となった朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこっている」との原稿記述は旧検定基準に合致しないけれども、「戦場となった朝鮮では労力・物資の調達などで人民の協力を得られないことがたびたびあった」との記述は旧検定基準に合致すると認めたということができる。

原稿記述と最終記述との差は、「人民の反日抵抗」と「労力・物資の調達などで人民の協力を得られないこと」のみであって、その前後の文脈には有意な差は存しない。具体的事件を特定しないまま抵抗ないし反抗の態度を抽象的に記述したことは両者とも同一である。それにもかかわらず、文部大臣は、前者について東学党の乱や農民戦争の呼称と結合させないときは、いかなる事象を指すか不明であり、学習、指導上の支障が生ずるとし、後者については抵抗の事実を抽象的に記述する点で前者と同一であるのに、原審のいう「どのような視点から、このような歴史的事象をさすのか分明」とするために、何ら東学党や農民戦争の呼称と関係づけなくとも学習指導上の支障はないとしているのである。

以上のように、文部大臣は、一方で「反日抵抗」を東学党の乱と結合させないと教育技術的に困難が生ずるとしながら、他方で「不協力」といいかえればこの困難はないとの見解を有しているかのようである。しかし、最終記述で、不協力について抽象的一般的に言及しても何ら学習指導上混乱も困難も生じないのであるならば、当初の原稿記述である「人民の反日抵抗」という抽象的一般的言及でも同様に混乱や困難が生じないとすべきであり、上告人の原稿記述に限って、東学党の初発に言及する必要性を認めるべき理由は見いだし難いというべきである。

6  したがって、「朝鮮人民の反日抵抗」の原稿記述は、これを削除しなければ学習指導を進める上で支障が生ずるほどに不適切であるとはいえないというべきであり、右原稿記述に対して、文部大臣が修正意見を付したのは違法というべきである。

二  「日本軍の残虐行為」の記述について

1  多数意見に反対する第一の理由は、原稿記述の読み方にある。

(一)  本件教科書二七七頁本文は、日中戦争において広大な戦線で国民政府軍及び第八路軍の抗戦にあい、「日本の降伏するまで……中国民衆のねばりつよい抵抗を屈伏させることができなかった。」と記述し、本件原稿記述は、この部分の脚注に従前からあった第一文「とくに第八路軍は華北など(で)……ゲリラ戦の経験のない日本軍をなやませた。」に、次の二文を付加しようとしたものである。すなわち、第二文は「このため、日本軍はいたるところで……中国人の生命・貞操・財産などにはかりしれないほど多大の損害をあたえた。」であり、これに続く第三文は「またハルビン郊外に七三一部隊……を設け、……残虐な作業を……数年にわたってつづけた。」であって、この三文は段落を分つことなく連続していた。

右の第一文は、第八路軍の活動が華北などで特に顕著であったことは、公知であったから、本文における抗戦の態様を補足するものとして、この言及がなされたことが明らかである。続く第二文は、やはり本文にある、広大な戦線にわたる中国民衆のねばりつよい抵抗の記述に対する注であって、「このために、日本軍はいたるところで」この抵抗を抑圧する行動に出たこととその態様を示し、さらに、第三文で、「またハルビン郊外」での七三一部隊による生体実験を記述したのも、同様本文の中国民衆の抵抗に対応する方法の模索を示したものと読むべきである。

第一文と同様、「このために」以下も本文記述への脚注であることは、特に「日本軍はいたるところで」と述べて、中国の「広大な戦線」にわたる抵抗に対する行動である旨を明示していること、更に「また」に始まる第三文が、華北のゲリラ戦と特段結びつかない以上、七三一部隊が、本文にいう中国民衆の抵抗への対抗手段であった趣旨を述べたものであることから明らかで、この点からすると、「このために」は第二文と第三文に一括して係る接続詞とせざるを得ないのである。多数意見のように第二文が第一文にのみ関するとすると、「このために」と第三文との連続は切断され、第三文と本文の関連が示されなくなり、第三文が本文の脚注であることが文章上不明となってしまう。

(二)  現に、被上告人も前項と同様の読み方を続けている。すなわち、文部大臣は、昭和五八年一二月の修正意見の口頭告知以来、二つの脚注すなわち南京事件及び本件第二文から、中国婦人に対する貞操侵害行為の記述を削除するよう求めてきた。被上告人国も、本件訴訟の事実審係属中の九年間一度としてこれらを区別したことはなかった。文部大臣は、時野谷調査官の理由告知以来一、二審を通じて南京事件及び本脚注の双方を一括して、「中国婦人をはずかしめたりするものが少なくなかった」など「このような事実があったことは認められるけれども」こうした出来事は「どの時代のどの戦争にも起こったことで」「特に日本軍の場合だけこれを取り上げるのは選択と扱いの上で問題である」として削除を求めた修正意見の正当さを主張しており、南京の場合と華北地方などとの区別は、本件検定及び訴訟の課程では一切意識していない。

しかも、文部大臣もこの原稿記述が「中国のいたるところ」を意味することを了知していた証拠が存する。文部大臣が本件に関し「日本軍はいたるところで」とあるのは「解放地区のいたるところで」ではないかと述べ、その趣旨に訂正するよう改善意見を付したところ、上告人は、潮州(広東省。付近に汕頭あり)に駐屯していた部隊長自ら認知した実情や海南島の駐屯部隊長の言動を記載した文献(戦没した静岡高校卒業生の日記・甲第三九一号証)を引用して、この種不祥事は解放地区に限られず中国のいたるところで生じたものであると反論した(甲第二〇号証)。もともと、文部大臣がこの意見を助言・指導にすぎない改善意見にとどめ、「いたるところ」と広く表現することに強い異議を有していなかったことと、以後一切発生場所について主張のない事実を考えあわせれば、文部大臣も上告人の華南方面の事例による説明を受けて、「中国のいたるところ」を意味することに納得していたと認めちれるのである。

これらの点からしても、本件脚注を、華北における貞操侵害の記述と読むことは、文部大臣及び被上告人の理解に反することが明らかである。

(三)  そして、本件脚注が中国における戦場全般に関するものと読むべきである以上、原判決が南京事件における日本軍の同様の行動につき判示したように、古今東西を通じる共通現象であることを理由に、特定事項を強調しすぎるとして検定基準に違反するとすることは、合理的理由を欠くものといわざるを得ず、文部大臣の修正意見は、旧検定基準の解釈、適用を誤ったものというべきである。2 多数意見に反対する第二の理由は、裁判所が文部大臣の修正意見の理由とは異なる理由を挙げて修正意見を適法とすることは検定制度が保障する上告人の法的利益を害するおそれがあるという点にある。

(一)  文部大臣は、本件教科書二七六頁の脚注における南京占領時の貞操侵害の記述と、同書二七七頁の脚注における貞操侵害の記述とを区別することなく、一個の共通する理由をあげて、その削除を求めていた。すなわち、「中国婦人をはずかしめたりするものがすくなくなかった」あるいは「婦人をはずかしめるもの」という記述については、このような事実があったことは認められるけれども、このような出来事は人類の歴史上、どの時代のどの戦場にも起こったことであるから、特に日本軍の場合だけこれを取り上げるのは選択と扱いの上で問題があるとしていた。文部大臣の立場は、検定の全過程を通じて変わることなく、更に本件提起後一、二審の審理を通じても、本件修正意見に関し、この区別をした主張はされていなかった。

ところが、原判決は、突如、文部大臣の修正意見について、南京に関しては裁量権の範囲を逸脱した違法があるが、華北については貞操侵害は特徴的な事実ということができないとして、これにつき修正意見を付したことは違法でないと判示したのである。

(二)  原審の右判断は、文部大臣が検定意見において挙示した理由と異なる理由によって原稿記述の削除を容認するものであって、旧検定規則が定める検定手続に違反する検定を許容したのと同様の結果となり、違法といわなければならない。

最高裁昭和六一年(オ)第一四二八号平成五年三月一六日第三小法廷判決・民集四七巻五号三四八三頁は、教科書検定が、検定規則の定めるところに従って、文部大臣の諮問機関たる教科用図書検定調査審議会の答申に基づき合否の決定がなされること、不合格決定通知書には不合格の理由として検定基準のどの条件に違反するかが記載されているほか、教科書調査官が口頭で原稿の具体的欠陥箇所を補足説明し、申請者の質問に答え、その際速記・録音機の使用も許されていること、申請者はこの説明応答を考慮した上、不合格図書の再申請が可能であることなどを総合勘案すると、手続保障を定める憲法三一条の法意に違反するものということはできないとしている。そして同判決が付加するように、昭和五二年の教科書検定規則の改正により、新たに不合格理由の事前通知と反論の聴取制度が設けられ、右手続保障は一層強められている。

さらに、同判決がいうように、「検定意見は、原稿の個々の記述に対して」検定基準の「各必要条件ごとに、具体的理由を付して欠陥を指摘するもの」であるからこそ、申請人は反論して再考を求める機会も得られ、また、不合格理由に即した修正も考慮できるし、最終的に不合格決定を受けたとき、理由を考慮して再申請も可能となる。したがって、明示的に告知された理由以外を不合格の根拠とすることは、検定制度の下で申請人の利益を保障するため定めちれた手続の根幹に反するものといわざるを得ないのである。

要するに右第三小法廷判決は、教科書検定手続は「検定関係法規の趣旨にそって行使されるべきである。」し、右に示した一連の手続が履践されるからこそ憲法三一条による法定手続の保障の法意に反しないとしているのであって、旧検定規則などを遵守しない手続の下でなされる検定は違法という外ない、

(三)  今本件検定の経過をみると、上告人の申請に対し、検定規則に従って、時野谷調査官による条件付合格の理由の事前告知、口頭の補足説明、質問、反論の聴取及び理由を付した反論の採否の通知がなされた。

この手続を通じ、文部大臣が一貫して修正意見の理由として挙げたのは、日本軍の貞操侵害は、人類の歴史上どの時代のどの戦場にも起こったことと同種のものであって、特に日本軍の場合だけこれを取り上げるのは選択と扱いの上で問題であるという一点であった。文部大臣が南京と華北における貞操侵害の頻度または残虐さの差を取り上げて修正意見の理由としていないことは原審の認定から明らかである上、両者の差異につき、原審において両当事者は弁論をすることもなく、特に証拠調べを求めたこともうかがわれない。つまり、文部大臣として、この点を修正意見の理由とした形跡は存しなかった。

仮に、文部大臣が原稿記述の対象を華北の事象であると理解していたとすると、文部大臣は、華北において「このような事実があったことは認められる」と認識した上で、発生場所や発生の頻度、態様を問題とすることなく、士卒の婦人に対する貞操侵害は世界共通の事象であるとの理由のみによって本件修正意見を付したことになる。そうであれば、文部大臣は、華北であることを特に取り上げて「個々の記述」につき「具体的理由」を付していないのであるから、文部大臣自身も、一連の法定手続を省いたまま華北の事象であることを理由に検定の合否決定をすることはできず(仮にこれを認めれば検定手続を経ないで合否の決定をすることを認めるに等しくなる。)、現に被上告人も本訴審理過程でかかる主張をしていないのである。

したがって、修正意見の適否を判断する裁判所において、文部大臣が明示的に告知した理由以外をもって、修正意見適否の判断をすることは、前記口記載の検定制度の趣旨に反し、検定制度が保障した上告人の法的利益を全面的に否定するものであって、許されるべきではない。

(四)  要するに、裁判所は、検定手続において審査され判断された範囲内に限って、修正意見の適否を審査すべき手続上の拘束を受けるものであり、検定手続で不合格理由の対象とされなかった事由を挙げて裁判所が修正意見の適否を判断することは許されない。文部大臣が所定の審議会の議を経て検定基準に反すると明示的に判断していない部分は、原則として専門的技術的立場から検定基準に合致したと認められたことを意味するのである。もし、この部分につき裁判所が独自の判断で検定基準に反すると判定できるならば、検定手続中における理由告知、補足説明、反論、再考、修正案の考慮、不合格後の再申請の機会付与など聴問手続を十分尽くすことによって申請者に保障した利益はすべて失われるのみならず、その場合、裁判所は、文部大臣の検定と別個に、自ら新たな第二の検定機関として機能するものとなり、教育の中立・公正・一定水準の確保等の高度の公益目的や検定の公正の保持を目的として、高度の専門技術的判断を法定の機構に一任した教科書検定制度に基本的に背反する結果となる。したがって、文部大臣の指摘していない南京と華北地方などの差異をもって修正意見を適法とした原審の判断には、検定に関する法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ないのである。

判示一二の4についての裁判官千種秀夫の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見が、上告人の昭和五八年九月の改訂検定申請のうち「七三一部隊」の原稿記述について、文部大臣のした修正意見を違法とし、この点に関する原判決を破棄すべきものとしたことについては賛同しかねるので、以下その理由を述べる。

一  多数意見は、「本件検定当時において、七三一部隊の実態を明らかにした公刊物の中には、作家やジャーナリストといった専門の歴史研究家以外のものが多く含まれており、また、七三】部隊の全容が必ずしも解明されていたとはいえない面があるにしても、関東軍の中に細菌戦を行うことを目的とした『七三一部隊』と称する軍隊が存在し、生体実験をして多数の中国人等を殺害したとの大筋は、既に本件検定当時の学界において否定するものはないほどに定説化していたものというべきであり、これに本件検定時までには終戦から既に三八年も経過していることをも併せ考えれば、文部大臣が、七三一部隊に関する事柄を教科書に記述することは時期尚早として、原稿記述を全部削除する必要がある旨の修正意見を付したことには、その判断の過程に、検定当時の学説状況の認識及び旧検定基準に違反するとの評価に看過し難い過誤があり、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというべきである。」としている。

二  しかしながら、本件検定当時「七三一部隊」と称する軍隊が存在し、生体実験をしていたという事実が大筋において否定されていなかったからといって、そのことから直ちに、文部大臣の本件修正意見に看過し難い過誤があり、被上告人国に国家賠償法上の損害賠償責任があるとするには、やや飛躍があるように思われる。

申請に係る原稿記述の検定に当たっては、申請の記述が事実に反していてはならないから、まずは事実の存否が判断の前提として重要なのであるが、事実があればそれで済むというものではない。教科書の検定は、犯罪の立証でもなければ、歴史学の論争でもないのである。判示九で説示しているとおり、検定に当たっての文部大臣の判断は、「申請図書について、内容が学問的に正確であるか、中立・公正であるか、教科の目標等を達成する上で適切であるか、児童、生徒の心身の発達段階に適応しているか、などの様々な観点から多角的に行われるもので、学術的、教育的な専門技術的判断であるから、事柄の性質上、文部大臣の合理的な裁量にゆだねられるものである」。したがって、右判断が裁量権の範囲を逸脱したものとして国家賠償法上違法となるのは、「合否の判定、合格の判定に付する条件の有無及び内容等についての検定審議会の判断の過程に、原稿の記述内容又は欠陥の指摘の根拠となるべき検定当時の学説状況、教育状況についての認識や、旧検定基準に違反するとの評価等に看過し難い過誤があって、文部大臣の判断がこれに依拠してされたと認められる場合」に限られるのである。

しかも、その判断は、抽象的なある事実の存否そのものではなく、具体的に申請のあった改訂原稿の記述を対象としてされるものであることはいうまでもない。

三  ところで、記録によれば、本件改訂原稿の記述は、以下のような文脈の中での記述の追加である。すなわち、本件改訂検定の申請の対象となった本件教科書の第=章は「一五年にわたる戦争と戦時下の文化」と題され、その「1・中国への武力進出の開始と思想界・文化界の動向」なる節には、順次「世界的大恐慌と日本」、「中国のめざめと日本」、「満州占領」、「独裁主義陣営への参加」、「中国との全面戦争」、「軍需工業の拡大」、「戦時体制の確立」、「思想界・文化界の動向」との小見出しの下に各一頁弱の記述がなされている。このうち「中国との全面戦争」の後段(二七六頁から二七七頁)は、嘘溝橋での衝突をきっかけに日本と中国とが全面的交戦状態に入ったこと、及び日本軍は首都南京その他の主要都市や主要鉄道沿線などを占領し、中国全土に戦線を広げたが、蒋介石の国民政府が抗戦を続けたこと、を記述した後、「日本軍は広大な戦線に大量の人員・兵器を消耗しながらも、一九四五(昭和二〇)年八月日本が降伏するまで、ついに国民党・共産党にひきいられた中国民衆のねばりつよい抵抗を屈伏させることができなかった。」と結んでいる。そして、その最後に國と記し、その頁の下段の注記欄に「國とくに第八路軍は華北などに広大な解放地区をつくりだし、住民の支持をえて、点と線とをたもっているにひとしい日本軍にくりかえし攻撃を加え、ゲリラ戦の経験のない日本軍をなやませた。」と記されている。本件改訂検定の申請に係る原稿記述は、右の本文及び注の記述に何らの手を加えることなく、ただ、右注國の記述の後に、改行もせず、「このために、日本軍はいたるところで住民を殺害したり、村落を焼きはらったり、婦人をはずかしめるものなど、中国人の生命・貞操・財産などにはかりしれないほど多大の損害をあたえた。またハルビン郊外に七三一部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたってつづけた。」との記述を付加しようとするものである。

右によれば、上告人が改訂前の本件教科書で記述していることは、要するに、日本軍は中国で全面戦争に踏み込んだが、中国の根強い抵抗に遭って功を奏さなかったということであり、その注団の記述もまた、その具体的状況の説明に限られている。ところが、右改訂検定の申請に係る原稿記述は、これとはやや趣を異にし、日本軍が至る所で中国の住民に多大の損害を与え、さらには、七三㎜部隊と称する細菌戦部隊を設け、中国人らに生体実験を加えるような残虐行為を続けたというものである。

四  日本史の教科書は、次代の日本を担う若い世代に対し、日本の姿を正確に認識させるためにあるのであり、今日のような国際化社会においては、日本の立場ばかりでなく、諸外国殊に近隣諸国との関係をも視野に入れて考えねばならないことは当然である。その観点からすれば、日本にとって恥となる所業であっても、これを若い世代に正確に認識させることは必要であり、そうすることにより、関係諸国の国民との相互理解も深まり、ひいては今後の友好と平和に寄与するものということができよう。そうであるとすれば、なおさら、そこに記述される事実は、それ自体が正確であることはもとより、それが、その文脈の中において正しく理解され得るものでなければならない。ところが、前記の原稿記述は、それまでの本文及び注の記述とは趣旨を異にする二つの事象を区別もなく追加するものであって、一読して、その追加部分と従来の本文及び脚注の記述がどう関連するのか明らかであるとはいえない。事実、その追加事項の前段については、判示一二の3についての多数意見も、また、原審と同様、「その冒頭が『このために』で始まっていることに照らせば、本件原稿記述は、第八路軍が解放地区を作り出した華北などの戦場における日本軍の行動を記述したものであるといわざるを得ない」とした上、その中の貞操侵害行為についての記述を適切でないとした文部大臣の修正意見を裁量権の範囲内であるとしているのである。(この点については、私は、園部裁判官の補足意見に賛成する。)。

それでは、それに続く「七三一部隊」の記述は、前後の文脈の中でどのような意味を持つのか。改行もなく続く注記の中では、この記述もまた「このために」に続くかに見えなくはない。しかし、その内容からみると、そのように続けて読むべきかに疑問なしとしないのである。

五  そもそも、「七三一部隊」の存在及びその所業については、戦後の早い時期から今日まで、広く世間に知られながらこれを否定する学説のなかったことは、多数意見の指摘するとおりであろう。そして、終戦から本件検定時までに既に三八年が経過していることもまた事実である。しかしながら、その長い期間の間、このような事実について必ずしも正確な調査研究が尽くされていたとは言い切れないことは原審の認定判断するところであって(その詳細については山口裁判官の反対意見二及び三項に記されているのであえて重複を避け、それをここに引用する。)、正確な調査研究が尽くされなかったことにはそれなりの理由があったものと推測されるのであるが、長きにわたって否定する学説が発表されなかったとしても、そのことによって事実の内容やその意味するところが明らかになるものではない。およそ、「七三一部隊」のような日本の軍隊が他国で行った残虐行為については、それが、教科書に記述されるか否かは別として、我が国民が等しく記憶にとどむべき事柄であり、それが教科書に記載されたならば、その持つ意義も決して小さなものとはいえない。そのような事柄であるからこそ、いまだ日本の歴史について十分な知識を有しない青少年のために作られる教科書において初めてこれを取り上げるに当たっては、その事実の存否のみならず、その意味するところについても誤りない記述が求められるのであり、これを記述するに当たっては、その趣旨内容についても十分な検証がなされて然るべきものといえるのである。そのように考えるとき、前記のような本件検定当時の学説状況の中にあって、文部大臣が時期尚早として、本件原稿記述を削除するよう修正意見を付したことには、それ相応の理由があったものということができ、これをもって看過し難い過誤というのは当たらない。文部大臣は、何も既に他の教科書にも採用されているような記述を削除せよとの意見を付したわけではないのである。この文部大臣の判断を看過し難い過誤であるとするならば、それは文部大臣の検定権を否定するか、あるいはその裁量権を極めて狭く解するものであって、最高裁平成五年三月一六日第三小法廷判決と抵触するおそれもなしとしない。

以上の次第で、私は、「七三一部隊」についての多数意見に反対であり、この点に関する原審の判断は、正当としてこれを維持すべきものと考える。

判示一二の4についての裁判官山口繁の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見と異なり、「七三一部隊」の原稿記述について文部大臣が修正意見を付したことは違法ではなく、右の点についての上告人の上告は棄却すべきものと考えるので、以下その理由を述べる。

一  およそ歴史叙述に当たっては、史料を厳密に考証した上、必ずその裏付けを取って行うという実証主義的態度が要請されることはいうまでもない。先人は、このことを「謹なく操なく疑しき事はかりそめにも口より出すべからず」(新井自石「人名考」)とか、あるいは「「事も徴なくして敢てみつからの説つくらず疑を闘し所もつとも少からず又疑をば疑と傳へし所もあり」(同「藩翰譜」凡例Vなどと言い表している。

ところで、我が国の近・現代に関する資料は、膨大であるが、その発掘が必ずしも体系的・全面的になされておらず、また、新資料の発掘や史実の認識・評価の見直しもあって、一致した見解を醸成するまでには至っていない分野もかなりある。したがって、近・現代史の指導に当たっては、利用する資料の信頼性はもとより、その選択が適切であるかどうかを、広い視野に立って検討するとともに、視点や立場を異にする資料をも併せて考察させるなどの配慮が必要である。高等学校学習指導要領(昭和五三年文部省告示第一六三号)において、日本吏の「内容の取扱い」の②で「近・現代史の指導に当たっては客観的かつ公正な資料に基づいて歴史の事実に関する理解を得させるようにする」旨規定されているのは、これを反映したものであろう。

歴史の教科書の叙述についても、このことは、当然要請されるところである。

そして、この観点から、教科用図書の内容の選択や程度等に関し、適切・不適切の評価が生ずることが考えられる。申請図書について、その内容の選択や内容の程度等に関し検定意見が付された場合において、検定意見に看過し難い過誤があるか否かについては、その意見が、原稿記述の学問的な正確性ではなく、教育的な相当性を問題とするものであるところから、取り上げた内容が学習指導要領に規定する教科の目標等や児童、生徒の心身の発達段階等に照らして不適切であると評価し得るかなどの観点から判断すべきものである。このことは、法廷意見の説示するとおりである。

二  ところで、原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

本件検定当時までに公刊されていた七三一部隊に関する文献、資料は、従前公刊されたものの復刻版二点及び改訂版を含め三六点に及び、新聞、テレビ等でも数多く報道されており、中でも昭和五六年から昭和五八年にかけて作家森村誠一が発表した「悪魔の飽食」全三巻は、①旧七三一部隊員の証言、②旧七三一部隊幹部に対する尋問調書を含むアメリカ軍の資料、③ハバロフスク軍事裁判記録、④旧七三一部隊幹部による医学学術論文、⑤中国における取材などにより、七三一部隊の実態を詳細に描いたもので、大きな反響を呼び、世人の注目を集めた。また、七三一部隊の存在について本件検定当時発表されていた学術書としては、上告人著「太平洋戦争」(昭和四三年)、長崎大学助教授常石敬一著「消えた細菌戦部隊ー関東軍七三一部隊ー」(昭和五六年)、右常石敬一、ジャーナリスト朝野富三共著「細菌戦と自決した二人の医学者」(昭和五七年)があり、外国の文献としては、ジョン・パウエルの「歴史の隠された一章」があった。そして、「悪魔の飽食」、「消えた細菌戦部隊」を高く評価し、昭和五八年度検定当時の日本近・現代史の学界においては、本件原稿記述に表現された程度の事実は既に十分確認されていたとする見解がある。しかし、他方において、前掲「悪魔の飽食」及び「消えた細菌戦部隊」の基礎資料とされたものについては、次のような指摘がなされている。すなわち、①前掲「悪魔の飽食」及び「消えた細菌戦部隊」の基礎資料とされたハバロフスク軍事裁判記録に関する出版物は、通常この種のものに付されている奥付・序文がないため、訳者、日本での出版社、発行年など書物の来歴をうかがうことができず、また、モスクワで印刷されたものがどうして当時アメリカの占領下にあった日本で発行されたのかなどの点で史料としての疑問が多く、原本に当たり検証することもできない同書を学術的に利用するには慎重な検討が必要である(なお、「悪魔の飽食」の著者も、ハバロフスク軍事裁判記録は、あくまで勝者が敗者を裁いたドキュメントであり、さらに供述証言に応じた元隊員たちの複雑な思惑も絡んで、七三一部隊の本質をうかがわせるものであっても同部隊の正確な全容を示すものではないとしている。)。(二)「悪魔の飽食」の基礎資料の一つとされたアメリカ軍の資料は、その資料価値は高いと考えられるものの、当時占領下という状況で米軍が尋問した結果であるから、その任意性・信ぴょう性、供述された範囲(生体実験等重要部分を欠く。)等には疑問があり、慎重に扱うことが必要であるところ、これらは、昭和五六、七年ころに初めてアメリカ合衆国で研究者が一般に利用できるような状態に立ち至ったのであり、昭和五八年度検定以前には、我が国では、同記録のごく一部分が紹介されていたにすぎず、いまだ十分な史料批判が行われていたということはできない。(三)同じく「悪魔の飽食」の一資料となった旧七一三部隊貝の証言は、内容が主に医学にかかわる問題であるのに、元隊員の中でも医師でない下級隊員(そのほとんどが匿名)の証言がほとんどで、医師が中心となる上級隊貝の証言が全く欠けている点、文書的裏付けに欠ける点等で信頼性に問題があって、無条件にこれを利用することは危険である。㈲その他に多数ある関係者の証言を収録した文献、資料については、いずれも下級隊員の手記であったり、あるいはジャーナリストが伝聞や風評をまとめたりしたものであって、資料の信頼性を十分検討した学術的研究書として発表したものではない。そして、前掲「太平洋戦争」は、前掲ハバロフスク軍事裁判記録を基本とし、他には史料として問題のある非学術的雑誌記事に基づいて叙述したにとどまるし、常石助教授の著作も、学術的研究書に付されるのが通例である注が付されていないという点で形式が不十分であり、当該記述がいかなる文献資料に基づいたものであるかを第三者において照合可能なものとなっていない上、重要箇所に全くの推測に基づく所があるなど問題があり、また、前掲「悪魔の飽食」はそれが元とした資料を学術書のような形式では明らかにしておらず、他の研究者がその記述内容の真実性を検証するには困難があるなどとし、昭和五八年度検定当時、七三一部隊に関する研究はいまだ不十分であり、高等学校の教科書に記述し得るほど、学術的研究としてはまとまっていなかったとする見解もある。

三  右によれば、昭和五八年度検定当時において、七三一部隊に関しては多数の文献、資料があったものの、それらの文献、資料の中には、例えば原本に当たって検証することができないため慎重な取扱いを必要とするもの、公開されて日が浅く研究者の史料批判が行われていないもの、学術書の形式をとっておらず他の研究者がその記述内容の真実性を検討するには困難があるものなどがあり、学術的にみて問題があるものが少なくなかったといわざるを得ず、したがって、本件検定当時においては、教科書に記述し得るほどには学術的研究としてまとまっていなかったとする見解は、相当の合理的根拠を有するものということができる。

そして、当時の学界の状況が右のようなものである以上、歴史の教科書の叙述に当たって要請される前掲の実証主義的態度にのっとって考える限り、「本件検定当時においては、七三一部隊に関する研究は、いまだ資料が発掘、収集され、事実関係が次第に解明されつつある段階にあって、発表された事実関係も十分な検証がされていたとはいえず、教科書に記載するには信頼するに足りる資料が不十分であったといわざるを得ないから、文部大臣が時期尚早であるとして修正意見を付した過程に看過し難い過誤があるとはいえない」とした原審の判断は、首肯するに足りるものといわなければならない。

四  この点に関し、多数意見は、「七三一部隊に関しては、本件検定当時既に多数の文献、資料が公刊され、中には昭和四三年に刊行された上告人の著作もあり、必ずしもすべてが本件検定の直前に公刊されたわけではないことが明らかである。そして、原審が、本件検定当時、七三一部隊の存在等を否定する見解があったことを認定していないことに照らせば、本件検定当時、これを否定する学説は存在しなかったか、少なくとも一般には知られていなかったものとみられる。そうすると、本件検定当時において、七三一部隊の実態を明らかにした公刊物の中には、作家やジャーナリストといった専門の歴史研究家以外のものが多く含まれており、また、七三一部隊の全容が必ずしも解明されていたとはいえない面があるにしても、関東軍の中に細菌戦を行うことを目的とした『七三一部隊』と称する軍隊が存在し、生体実験をして多数の中国人等を殺害したとの大筋は、既に本件検定当時の学界において否定するものはないほどに定説化していたものというべきであり、これに本件検定時までには終戦から既に三八年も経過していることをも併せ考えれば、文部大臣が、七三一部隊に関する事柄を教科書に記述することは時期尚早として、原稿記述を全部削除する必要がある旨の修正意見を付したことには、その判断の過程に、検定当時の学説状況の認識及び旧検定基準に違反するとの評価に看過し難い過誤があり、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというべきである。」とする。

しかしながら、本件において問題となるのは、右の大筋を教科書に記述することの適否ではなく、本件教科書二七七頁の脚注に「またハルビン郊外に七三一部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたってつづけた。」と具体的、断定的な記述をすることの適否である。そして、前掲の原審で認定した本件検定当時の学界の状況からすると、本件検定当時、本件原稿記述の内容が否定するものはないほどに定説化していたものと断ずることは到底できないことはもとより、歴史の教科書の叙述に当たって要請される実証主義的態度にのっとって考える限り、当時においては、七三一部隊に関する本件原稿記述を教科書に取り上げることができるほどには、信頼するに足りる学術的研究、論文ないし著書などの資料は十分ではなかったといわざるを得ないのである。そうすると、文部大臣がこれを教科書に取り上げることは時期尚早であるとし、検定基準に照らし、必要条件である第一(教科用図書の内容とその扱い)3(選択・扱い)の「②学習指導を進める上に必要なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。」に欠けるとして修正意見を付したことは相当であって、その判断過程に看過し難い過誤があったとは認めることはできず、これと同旨の原審の判断は首肯するに足りるといわなければならない。

五  したがって、論旨は理由がなく、本件上告は棄却すべきものと考える。

(裁判長裁判官大野正男 裁判官園部逸夫 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信 裁判官山口繁)

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